思い込みという視界フィルター

山田 唄
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 かねてよりnoteでおすすめに上がってくるたびにちょいちょい見ていた人がいる(今日もnoteの話。いかにSNSに入り浸る生活をしているか…)。彼女もイラストや文章を描く創作家であるのだが、過去創作界隈で色々あったらしく、その時の心労でついに病を患ってしまったらしくて、絵を描く体力がなくなったと言いながら過去の恨みつらみを怨念たっぷりの文面でnoteに綴っている。

 それらの記事を読み始めた当初こそ、そんなに辛いことがあったのか、きっとそれらを乗り越えるために今は怨念を洗いざらいぶちまけることが必要なんだろうね、応援しているよ。という気持ちで記事を読むたびに反応をつけていたのだが、一向に前を向く気配がなく、ひたすらぶちぶちと他人を罵倒する言葉ばかり重ねているので「なるほど、この人は嫌なことがあったからとかではなく最初からこういう人なのだな」と気づいた。

 彼女が言うには、周囲の人間は皆彼女の実力に嫉妬し、その上で彼女の絵柄を盗みながらも罵詈雑言の言葉ばかりかけてきた、らしい。しかして投稿される記事をよく読んでいくと、彼女の抱いている思いや記憶自体ほとんど思い込みに過ぎないというか、本人の主観によって悪いように解釈され、改竄された都合の良いストーリーに過ぎないことがわかってくる。

 大体にして、彼女の描くものは客観的にそれほど良いものとは思えない(私が言うのもなんだが)。というのも、彼女の描くものは全てがラフの段階で筆を置いたような、乱暴に線を書き殴ってざっくりエアブラシで陰影をつけただけのものが多く、デッサンも取れているとは言い難いし本人曰く下書きすらせずに勢いだけで制作したものであるそうで、これを盗みたいと思うほど魅力を感じる人がそれほど多くいるとは思えないのである。

 本人が言うには、「私はデッサンを三年やり続けて資料を見なくても人の構造を3Dで理解できるようになったのだ」「その実力に嫉妬して私の絵柄を形だけ盗んでいく人が後を絶たない」「そんな偽物たちに私は負けない」という。認知が歪んでしまっているんだなあ、と思う。

 「自分はすごいものを作っているはずだ」という思い自体は、私自身ここ最近まで抱いていた倒錯感情である。というか、初心者のうちは皆、自分の作ったものを客観視できずにこうした誤った自尊心から黒々とした感情に至ってしまいがちであろう。

 その人の場合もとにかく自己愛が強いので、「自分はすごい」「すごいはずだ」「だから自分を認めない世界は悪なのだ」と言う思いをひたすら煮詰めてしまっているのである。

 この思い込みの着ぐるみを脱ぎ捨てなければ彼女はどこにも行けないと思うのだが、まあそれを私が直接言ったところでまた「自分に嫉妬している人が私を蹴落とそうとしてきた」と言う方向に事実を捻じ曲げて認識されてしまうだけだと思うので、もうどうしようもない。本人が自ずから気づくのを待つしかないなと言う思いだ。

 で、まあ今朝もその人の新着の記事がおすすめに上がって来ているのをつい読んでしまったのだが、相変わらず怒りと苦しみに支配された怨念迸る文章を書いており、それを読んだ私もかなりげんなりしてしまった。その気持ちを整理するためにこの記事を書いた次第です。

 自分が好きであること自体は好ましいことだと思う。私だって自分が大好きである。しかし、その一方で「自分のここは好きだけれど、こう言うところは間違っているよな」と言う客観的な感想をもてなければ、彼女のように視界を自らの手で歪めてひたすら暗黒面に没していくことになる。

 怖いな、と思う。私も気をつけなければなと言う思いだ。彼女のことはもうそっとしておこうと思うし、今後この人の書く記事を読むこともやめようと思うが、まあ反面教師として自分に刻もうと思うのであった。

 思い込みって恐ろしいですね。

@yamadauta
創作やりながらギリギリで生きているおじさん。ここには普段考えてはいるけれど表に出せないタイプの思想強めの文章を書いて出ししていこうと思います。