私は「キャライラスト」が描きたいわけではなかったんだよなあ

山田 唄
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 こちらでも何度か書いてきたが、十年ほど前の私は描こうとも描こうとも一切見て貰えず、いいねも一つ二つしかつかない、という究極の闇の煮凝りみたいな世界をずっと彷徨っていた。次第に心を病み、世界や業界に対する不満や恨み、憎しみをぐつぐつと煮詰め始め、「俺を理解しない世界などぶっ壊してやる!!!!」というテンションで絵を描くようになっていった。

 で、まあそうなる過渡において、当時繋がっていたプロの絵描きさんたちやピクシブで当時はやっていた添削サークルなどに顔を出して絵を見てもらうということをしていたんだが、そこでは大抵「もっと考えて描け」ということを言われていた。「お前の作品からは何を描きたくて何を表現したいのかが全く見えてこない」「惰性で、手癖だけで描いているのがはっきりわかる」「構想にもっと時間をかけろ」と。

 当時描いていたものは下のような感じなのだが。

 これらに対して当時お世話になっていた添削サークルで特に言われていたのが、「キャラクターの装備や衣装、装飾なんかの理由付けが弱い」ということだった。曰く、例えば剣士であれば、今からドラゴン退治に行く熟達の剣士であるのか、冒険者になりたての新米剣士であるのかで装備の質や面構え、キャラクター性なんかが大きく異なってくる。それを考えて表現できるようにならなければいけない、と。

 当時非常にいいことを言われたなという感じはあって、なるほど自分に足りないのは考えることと表現力なのか、とある程度納得はしたものの、心の底の方にモヤモヤとした澱みがたゆたっていた。違うんだよなあ。そうじゃねえんだ。俺の表現したいものは、もっとこういう…違うんだよ。

 しかして当時の私は言語化が非常に下手くそであった。人と会話した経験自体が少なかったので、自分の考えや表現目的などをそもそも言葉にして伝えることができなかったのだ。なので、相手の言うことをひたすらうんうんなるほどなるほどと言いながら聞いてしまっていたし、それが相手の勢いをさらに煽ることにつながってしまっていたのだと思う。殴り返してこないやつはそりゃあ殴り放題ですよね。

 まあ、で結局、今になって思うのだが、私は世間一般で言うような「キャライラスト」が描きたかったわけではなかったのだと思う。キャライラストというものの世間的な役割はといえば、「キャラクター」という別個に存在する概念(人物周りの設定をつめたキャラクター像)を絵として再現するために存在しているものであろう。つまり、一個のキャラクターというすでに確立された情報を絵として諾々と起こす、という目的のために存在している。

 対して私がやりたかったことは、ひたすらに「美」という概念の追求であった。ここにこういう要素があったら美しいんじゃないか??? ここにはこういうタッチを入れればより見る人の心を捉えられるだろう。そのような、つまりはキャライラストというよりは絵画に近い趣向を持った絵描きだったのである。そりゃあアドバイスに対しても何だかチグハグな思いがするはずだ。

 要するに「表現意図」が彼らと私とでは全く異なっていたのだった。だから私が描いて出ししたものは彼らにとっては理解不能なものであったし、私からしても彼らの思想は全く理解ができなかった。お互いにお互いを自分と決定的に違う異形だと認識していながら、その溝を埋めようとせずに一足飛びに互いの理解をすり合わせようとしていたからうまくいかなかったのである。

 まあ、そこら辺がわかるようになったのは私もごく最近のことなので、仕方がなかった、巡り合わせが悪かったし、そもそもその頃イラストという文化はまだ黎明期に当たり、レアケースに対する業界の認識も非常に甘かった。私みたいなはみ出しものは最初から冷遇される空気が充満していた。

 で、まあその当時私なりに苦しんで、彼らのいうような「キャライラスト」を描こうと心がけて今に至る。

 翌年に制作したものがこれである。これを描いた頃から、徐々にではあるものの周囲の覚えが好転していった記憶がある。私がキャライラストという方向性に歩み寄った結果である。

 しかして、正直思う。私があのままひたすらに絵画的な表現を追求して、その方向性を極めていたら、もっと違う景色が今目の前に広がっていたのでは??? と。出る杭は打たれる。それは仕方がない。けれども、あの頃の暗がりの中で必死に息をしていた自分のことを、私だけは肯定してやらねばと思う。

 きっと誰にも共感されないのだろうけれど。

@yamadauta
創作やりながらギリギリで生きているおじさん。ここには普段考えてはいるけれど表に出せないタイプの思想強めの文章を書いて出ししていこうと思います。