今日は深夜に目が覚めてしまったので、仕方なく起き出してきて作業していた。深夜作業はサイコパスが濁る。案の定先程まで、「生きるとは、死ぬとは???」「この世の苦しみについて」「自分は一体この人生で何を遺せるのか」みたいな遠大な話題をぐるぐる煮詰めてしまっていた。しんどくなってきたので一旦お茶を飲みながら休憩している次第だ。
なぜこんなにボロボロになってまで絵を描いているのだろう、と思うことが度々ある。
少し前まではそんなことを考える暇もないくらいに必死だったし、率直に「描かなければ死ぬ!!!!」と思っていた。しかし、三十路も後半に差し掛かり、多少なり世の中を俯瞰する余裕が出てくると自分のやってきたこと、つまり創作活動が、いかに自己満足で何の足しにもならないものであるか、徐々に実感として理解できてくる。
まあなんというか、私が今絵を描くことをやめたところで世界には何の変化ももたらさないし、仮に死ぬまで絵を描き続けたところで大きな波は起こせないということをぼんやり認識し始めているのである。ちょっと前まで「自分は歴史のページをめくるほどの絵描きだ!!!」と信じて疑っていなかったが、結局はそういう自分も井の中の蛙に過ぎず、世界は広く海は果ての果てまで巨大であった。
何が足りなかったんだろう、とぼんやり考える。高校の時通っていた美術予備校を途中で辞めなければもう少しデッサン力がついていたんだろうか。そのまま美大なりイラストの専門学校なりに進学していれば、多少なり絵の仕事のツテもあったんだろうか。最初からもっと真剣に絵の勉強をしていたら少しは違う未来があったのか???
そんな「もしも」と「たられば」が浮かんでは消える。ああ、情けないったらない。
大体にして、私には覚悟が足りなかった。絵に人生突っ込む勇気がなかったのである。絵やイラストという分野で大成する人たちは、大抵精神も体力も時間も、全てを芸術に捧げている。他の余剰なものになど見向きもせずに、ひたすらひたすら自分を鍛え上げてきた人たち。
彼らは実力に見合うだけのコストをかけているからあの域に達するのであって、世間知らずの小僧が気まぐれにちょっと本気を出してみた程度で上り詰められるほど、その界隈の頂は低くはない。
要するに努力不足なのである。結局、それに尽きる。自分の作るもの、描くものを見ていると、彼ら殿上人との差をはっきり感じるようになった。ちょっと前まで自分の作るものは神絵師の作るそれとさほど遜色ないではないか、と、愚かにも信じていたのである。まず、こなしてきた数が圧倒的に足りない。彼ら天人たちが賭けてきたコストは到底こんなものではないのだ。
しかし、それがわかってもなおこれ以上頑張ろうと思えない。私は人生丸ごと絵に捧げられるほど、絵が好きではない。イラストを描き始めた動機がそもそも「友人がイラストやってて楽しそうだと思ったから」だった。描きたい、作りたい、という強烈な衝動に駆られたからではないのだ。
このままではどこにも行けないまま落書きおじさんとして生を終えることになる。それでも別にいいか、と思っている時点で私の負けだ。
進むか、やめるか。結局どちらを選んでも苦しむのがわかっているから、中途半端な位置に甘んじている。自分の甘えが全て自分の絵に出ている…。