「心が強い」んじゃなくて無着なんだよなあ

山田 唄
·

 今ほどnoteで見かけた記事に、「お絵かき系Youtuberのいくしーさんを見ていると、“心が強い人“とは“適当を理解している人“なんだなと思う」というような記述があった。良記事だと思ったのでそのまま下に貼っておきます。

 曰く、「自分は昔から真面目だ、職人気質だと言われてきて、それをほんのり自分の長所だと思って育ったが、思えばこの真面目さが災いして精神疾患などを患った気がする」、「自分は“こうあるべき“という思いが非常に強く、それが自分の思考や行動の柔軟さを削いでしまっている気がする」とのことだった。私にも非常に身に覚えがある。

 そもそもこの国で生きていると、なんらかの目標を立ててそれを実行していくのが正しい、と初等教育時点から教えられる。年始にはその年の抱負を述べ、小中高入学ごとにその学校で学びたいことをはっきり言語化し、社会人になれば「俺は社会の中でこういう役割を果たしていきます」という心にもない意見陳述をさせられる。その上で、それらの目標を達成しようと頑張るふりをしなければいけない。

 現代人は真面目なので、頑張るふりをしているうちに、いつのまにかその目標や指針が世界のすべてであるかのように思い込むのである。世間様の役に立つ人間になりたいです!! という建前を、口にしたからには本当に実行しなければいけない気になるのだ。目標を立ててそれを実行していくのが正しい、と教えられてきたからである。

 しかし、現実この世界で大きなことを成し得ている人のメンタリティを見てみるとどうだろうか。例えば現在漫画の分野で大成している「藤本タツキ」先生。彼は、本当に楽しそうに漫画を描いている。漫画で世界を抱腹絶倒させたいんです!!! とか、漫画で天下とりてえんだ!!! みたいなメンタリティでやっているようには見えない。ただただ漫画を描くのが好きで、それを楽しみながらやっていた結果いつの間にか常人の遥か上を行く能力を身につけてしまっただけ、で。

 他方、野球の大谷翔平選手や、将棋の藤井聡太八冠などを見ても、どうも最初から「世界を獲ってやる!!!」みたいな目標を掲げて邁進してきたようには思われない。やりたいことをぬるっと続けてきた結果、通過点として世界一、ないし日本一になり、そうしてそこで満足するわけでもなく引き続きやりたいことを思いっきり楽しみながら歩み続けていく。そういう人たちだ。

 そりゃあ、目的意識はある程度までは物事を極める手助けになってくれる。けれども大抵の場合、目標はそれが叶えられないと腐り、膿み始め、いつの間にか目標ですらなく単なる執着や諦念に変わってしまう。そうなるともうおしまいである。ひたすら頭の硬い、自分の作り出した固定観念に縛られたどこにもいけない人間が完成する。

 視野は広く持っておいた方がいいよ、という話である。

 目標が達せられなかったところで、だからなんであろうか。死ぬのか? 世界が終わるのか? 明日も変わらない日々がそのまま続くだけであろう。だったら、目標だの目的意識だのにとらわれず、ただただ昨日の続きを今日も生きる。それ以上必要なことはないのではないかと思うのである。

 人間を不自由にするのは、他でもないその人自身である。真面目で実直で、自分に嘘がつけないあまりに、彼らは自分に何重もの「俺はこうあらなければいけない」という鎖を掛ける。そうして自ら袋小路に自分を追い詰めていき、その原因を社会や他人に求めて苦しむ。なんのことはない、自縄自縛。自分で自分を苦しめているのである。

 思い込みはときに、人を殺しますね。他でもない自分を。

 だから自由になった方がいい。「自由になるべき」ではなく、なった方が良い、のである。

@yamadauta
創作やりながらギリギリで生きているおじさん。ここには普段考えてはいるけれど表に出せないタイプの思想強めの文章を書いて出ししていこうと思います。