新年からため息を吐きまくっているのだが

山田 唄
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 年が明けたね。あちこちで新年の挨拶を繰り返していて俺の周りだけもう四回くらい立て続けに年が明けた感覚ですが、皆様も同様の思いを抱いていらっしゃることと思う。地球人の隣人と特別な日を分かち合う精神、美しいけれどたまにもういいだろう…という気持ちになる(隙事語。

 それはそれとして友人やネットの方達と新しい年を祝い合うのは悪くない思いで、何年もの付き合いになる友人にも早速「あけおめ」のメールを送っておいた。このふわふわした気持ちもおそらく三が日あたりで消えると思われるので、その分くらいは謳歌してもいいよね。花の命は短くて。

 さて、晴れて新年を迎えた朝、起きてきて最初に感じたことはといえば、「意外とぬるっと新しい節目を迎えたな」という気持ちであった。

 思えば三十数年生きてきたわけで、つまりは年毎のイベントも三十数回経験している。真っ当な感覚を持っていない私のような人間でもそれだけ同じようなことを繰り返せば「慣れる」もので、まあ割と背筋を伸ばされる感覚はあるものの、年を越したことに関しては2023年もどうにか乗り切ったな、という安心感がむしろ勝つ。

 そして、また新しい年が始まってしまった…という絶望を確かに感じたのである。

 生きている限りは延々消耗戦のレールに乗せられるというか、死ぬまではなんとか頑張って生きねばならない。これまで散々苦しい時期を経てきて、この何年かは目立って状況が好転したわけだ。が、しかして相変わらず一日一日を大海原の旅程で対岸も元いた岸も見えないただっぴろい海の中、どこに辿り着くのか、そもそもどこかに辿り着く未来があるのかもわからないままひたすらオールを漕ぎ続ける、というマラソンゲームが今年もまた始まったのである。

 正直、ちょっと疲れてしまった。この疲れは年々更新されていて、きっとある程度の距離を進んできたことを「環境の改善」という形で実感してしまったことから、もうここらで船を降りてもいいんじゃないか、の気持ちが強くなってきているのだと思う。

 自分はもう十分やった。そろそろここをゴールとしてもいいんじゃないか、という思いだ。

 そんなこんなで、今朝は目が覚めてから新年の挨拶で溢れるネットを横目に、ひたすらため息を吐いている。休みたい。なんなら、もう努力するのをやめてしまいたい。

 新年早々弱音を吐いていて本当に申し訳ないが、今までのクッソ大変な人生を思うと、この先また似たようなことを何十年も続けることににわかにうんざりする思いなのである。すまねえ、これは単なる愚痴だな。

 私の人生がどこで幕を下ろすかはわからないが、まあ生きてる限りは手を動かし続けなければいけない。自ら船を降りて大海に沈んでいく勇気もないのであれば、せめてどこかの岸に辿り着くまではひたすら漕がなければいけないのである。しんどいし、楽じゃないけど、楽しくないわけでもないし、まあ今年もなんとかやっていきますか。

 今日を迎えるにあたって、一週間くらい割とウキウキしていたんだけれど、実際に年が明けてみると今までと変わらない日常の延長に自分はいて、何も特別なことは始まらないし劇的に変化もしていない、というそのことにちょっとだけがっかりしたのだと思う。

 大丈夫、ちょっと疲れが出ているだけです。今年も頑張るぞっ。

@yamadauta
創作やりながらギリギリで生きているおじさん。ここには普段考えてはいるけれど表に出せないタイプの思想強めの文章を書いて出ししていこうと思います。