頭の中に、ずっと喉に引っかかった魚の小骨のようにサクッと刺さり続けていた思いではあった。「自分の才能は実は大したことないのではないか」。それでも生来の自己愛の強さと、楽観的な性分から「続けてさえいれば何かになるだろう」と半ばその思いを見て見ぬ振りしてイラストという趣味に勤しんできた。
今思えば、やはり自分のイラストという分野における才能はちっとも大したものではなく、「向いてないな」とチラチラ思い始めたあの時に別の分野に移っておくべきだったのだろうと思う。今では「絵」というものが自分のアイデンティティとほぼほぼイコールになってしまっていて、捨てるに捨てられない楔になってしまった。
小さい頃から何かやるたびに褒められる人生だった。生得的な「集中力の高さ」というパラメータがまず私の場合ずば抜けて高く、それはある意味気持ちが乗り始めると他のことが目につかなくなるという「過集中」の症状が当時からすでに出ていたわけであるが、まあその過集中のおかげで大抵のことが他の子どもよりよくできたのである。
加えて、好奇心が旺盛であった。知的な刺激に対する喜び、という報酬系に人よりずっと敏感であったから、例えば大抵の子が退屈を覚える学校の授業なども、非常に楽しみに聞いていた。教え方が上手い先生の授業は特に面白く、そうした先生の担当する学科の試験では高い成績を残す。
次第に周りは「山田くんは天才なんだね」とことあるごとに口にするようになった。なるほど、「過集中」と「好奇心」という才能は確かに持ち得ていたのだと思う。しかし私には生来「根性」がなく、何かを突き詰める手前でスッと熱が冷めてしまう。
特に、初めの頃のやればやるほど上達するターンをすぎて、ひたすら地道な努力を積み重ねジリジリと前進していく中級者以降の時期に差し掛かるともうダメで、小学校の頃やっていた水泳も、中学になってから始めた陸上も、前述した学業についても「それなりのところにはすぐに達するんだけれども、やがて興味をなくして辞めてしまう」という状態であった。
結果として器用貧乏な、何やってもそこそこできるんだけれど、一生懸命になることができない中途半端な存在として生きてきてしまった。
そのような私に転機が訪れたのが体を壊して高校を中退して間も無くの折であり、ネットに初めてあげたイラストに「ゲッ…いや、思ったよりもお上手です」という歯に衣着せぬ感想がついたことであった。
悔しかったのだと思う。また、それ以上に嬉しかった。それまで自分の周囲の人間に、これほどまでにあからさまに蔑まれたことがなかった。イラストという世界において、自分は挑戦者になれるのだ、と、そのようなことが喜びだったのである。
それからズブズブとイラストの世界にのめり込んでいったわけだが、そうして二十年たった今、自分は単純に、何かに挑みたかっただけなのだろうなと振り返って思う。ちょっと頑張った程度じゃ手に入らないものを、努力と根性の末に掴んでみたかったのである。そして、その想いは最近十分に身を結んでしまった。
この二十年、ちっとも報われない世界で生きてきた。描いても描いてもいいねがつかなかったこともある。面と向かって「下手くそ」と罵られたこともある。ただ一言の褒め言葉が長いこと得られず、すっかり腐ってしまっていた。
しかし、そのような状況がスカッと好転した。私はイラストという分野でも、そこそこの結果を手にしてしまった。
あくまでも「そこそこ」である。神絵師のようになれたとはお世辞にも言えず、私は私の生来の才能の無さ、努力の方向性が間違っていたことを思い知っている。
それでも、もういいかな、という気持ちになり始めてしまっているのであった。上級者になれたとは思わないが、中の上くらいの実力は手にしたつもりでいる。才能がないなりによくやったのではないかと。要はそろそろ目標を更新すべき時期に差し掛かっていて、しかしこの先、今までと同じかそれ以上の熱量で絵をやっていく覚悟が私にはないのであった。
どうすればいいんでしょうね。自分にはもう絵しか残っていないという思いで邁進してきたけれど、久々に余裕を持って見上げた空はどこまでも広くて、私だって今からでもどこにでも行けるんじゃないか、と思わせる。
そのためにはとりあえずこの井戸から出なければいけない。やるしかないんだよな…。