好きなことで食ってくって、言うほど生易しくないんよな

山田 唄
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公開:2025/4/12

 中高生くらいの頃に、俺は一般的な、「真っ当な仕事について嫌なこと、辛いことを金を対価にこなし、時には家族やら養ってせっせと最善を積み上げて生きていく」みたいなことがどうしてもできない人間だ、と自覚した。

 その頃から厭世的なところのある子供で、好きで始めた人生でもないのになんで嫌なことをわざわざ選んで生きていかなきゃいけねえんだ、と皮肉と屁理屈に関してばかりよく回る頭で考えたので、将来の夢は「仙人」か「自由人」だった。奇しくも両方を足して二で割ったような生活を、今送っている。

 まあ、ここに至るまでに結構な紆余曲折があったわけである。中学を不登校になったり、高校にいくことを一旦は諦めたり、結局安全策を取って通信制の高校を後期受験したり、そこでもうまくいかなくて体を壊した挙句退学するに至ったり。結構なひどい半生だったと思う。その中で、「俺は一般的な生き方がどうしてもできないのだ」という思いが浮かばれることもなくどんどん育った。

 仕方がないので、イラストか小説で一発当てて、うまくいかなかったら適当なとこで首でも吊るか、と言う意識でこの二十年くらいを生きてきた。二十代前半くらいは割と真剣に活動をやっていた。イラストを毎日のように十時間前後描き続けながら、その成長記録をブログに残しつつコミュニケーション不全に吐きそうになりながらも企業に売り込みを仕掛けて。

 結局全部うまくいかなかったわけだが。なんというか、今になって思うが、小説家やらイラストレーターやらとして企業と契約したりフリーランスでやっていくにも、ある程度の社会性が必要なのである。ある程度、というか、普通に中小企業に就職して適当な社会の歯車として生きていく以上の労力と精神力、気合が必要な生き方だ。

 どうあっても俺はこの道でしか生きられない、ここで失敗したら死ぬしかない、くらいの崖っぷち人間が、人生をオールベットして絵を描いたり小説を描いたりして、そのうちのごく一部だけが浮かばれる、と言う界隈。

 当たり前である。世間的にそれほど多くの作家が必要とされていない(あなたも普段見聞きする小説やイラストは有名人か知り合いのものくらいであろう)のに対し、作家を志望している人間は年々増え続けている。皆、「この職業なら自分でも楽して生きていけるかもしれない!!!」と思って飛びつくわけだが、一万人が腹を空かせている中でその職業の枠、パイは一枚くらいなので、どうあっても取り合いになるし、9999人は飯にありつけずに挫折する。

 そんな世界だ、と、ずいぶん後になってから気づいた。そりゃどうしようもない。多少言語能力と分析能力が高いだけで、そこまで特出した才能のない私のような人間が思いつきで努力したところで、到底手にできない称号だ。神絵師や神物書き、なんてのは。

 ただまあ、それがわかって「じゃあもうここからは完全に好きなものだけ作って生きよう」と割り切れてからの方が圧倒的に楽しかった。ただただ好きなものを作ってそれが他人に気に入られることなど万に一つくらいしかないわけだが、そのわずかな幸福がむしろ巨大な自己肯定感となって蓄積されていった。これこそが俺の欲していたものだったのだ、と、妙に実感した。

 そんなこんなで、仙人とも自由人ともつかぬ現在の立ち位置に収まったわけである。

 結果、欲しい世界を手にしたと思っている。私がよしんば何かの間違いで二十代くらいの頃に売れ出して、そこそこの地位を得たところで、自分の社会性を鑑みるに、すぐに辛くなってまた体やら壊してもっとひどい人生を送ることになったであろうことを、ぼんやり察知している。

 凡人は凡人なりの幸せで満足して生きていくのが分相応なのだ。そして、凡人なりの幸せもそこまで捨てたもんじゃない。

 これを夢も希望もない、と思うか、誰にでも一度は挑戦するチャンスがあると思うか。そこら辺は自由だが、まあ、若い頃には無茶をやっとけ、と、今になって思うよ。

 そう言って微笑む老兵に、俺もなったのだった。ちゃんちゃん。

@yamadauta
創作やりながらギリギリで生きているおじさん。ここには普段考えてはいるけれど表に出せないタイプの思想強めの文章を書いて出ししていこうと思います。