忍びの者の素質を持っている

山田 唄
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 今ほど、買い出しを終えて帰宅したところお袋ちゃんが玄関の前でよしなしごとをしていた。どうやら昨日の雨で使って、外で乾かしていた傘を取り込んでいるらしい。私には気づいていない。

 お袋ちゃんは若い頃はそれはもう感覚過敏な女性で、遠くから歩いている私を見とめては話しかけるかと思えば放置して後々「あの日あそこ歩いてたよね」と言ってきたり(いちいち記憶を辿らなければいけないので大層迷惑した)、家族の異変にもいち早く気づくのでその点ではお袋ちゃんのこの能力のおかげで、うちの一家は大変な恩恵を賜っていたと言える。

 しかし、人間は耄碌する。

 このところのお袋ちゃんはと言えば、昼時に毎シーズン追いかけているお気に入りの大河ドラマを見ている時など特に無防備で、やたらぼんやり霞んだ目でテレビモニターを凝視しているし(内容が頭に入っているのか些か疑問である)、家族の前では弱った姿など見せないものの明らかに五感が鈍くなった。近眼と老眼を拗らせて、風呂に入る時何も見えなくて怖い、とよく言っている。

 だいぶ遠回りな話になったが、まあそんなわけでコンビニから帰宅した私にも気づかず、玄関の扉を開けて家に引っ込もうとしていたので、驚かせてはなるまいとなるべくゆっくりした動作で彼女の隣に立った。一、二秒後、彼女は私の存在に気づいて全身で驚きを表現し、小さな言葉で「びっくりした…」と呟いた。

 お袋ちゃんが耄碌したからそうなったのだ、という論調で語ってきたが、実は他の人間にも割と頻繁に似たようなリアクションを食らう。私は呼吸音が非常に静かであるようで、加えて体運びの癖のせいか衣擦れの音もほとんどしない。靴音も非常に静かである。結果、存在を気づかれずにこちらが主張するまで至近距離で無視されるという状況が頻繁に発生する。

 要するに気配がほとんどないのである。

 日常生活においてこの能力はひたすら不便を量産するが、私が忍びの者に転職したならばまさしくその仕事は天職となろう。

 忍びの者たちを統括してる企業様、ここに優秀な人材がいますが、どうですか。

@yamadauta
創作やりながらギリギリで生きているおじさん。ここには普段考えてはいるけれど表に出せないタイプの思想強めの文章を書いて出ししていこうと思います。