しばらく前に、付き合いのあった人に「山田さんは“俺の作品はバカにはわからぬ、理解できる奴らは俺を崇め奉れ“と思っているでしょう」と指摘された。ズバリ核心を突かれてぐうの音も出なかった。
というか、別に自分の傲慢さを隠してなどいない。私は実際に自分の作品を理解できない奴らはバカだと思っている。それを常々態度に表してもいる。
その指摘をした人にとっては私みたいな自信と確信に満ち溢れる人間が気障りで仕方なかったようだが(実際度々喧嘩を売られていた、のでお別れするに至った)、私の作品を理解できるほどの感受性と知性がある人たちは、私の傲慢さもかなりの部分見抜いているのではないかと思う。いや、そもそも隠してないんだってば。
そんなわけで私を見ているとなんやら鼻持ちならんいけすかんやつだと、苛立ちや嫉妬を覚える人間がまあ一定数いる。彼らは彼らで「自分こそが世界の中心!!!」だと思っているので、彼らを心から崇めない「俺最強」の私のことが解釈違いすぎて腹立たしいのである。
要するにカリスマ同士、相手を支配下に置けないのでひたすら反発するわけだ。私より年上の人間や、目上(だと思っている)の人間、私より偉い(と思っている)人間にとっては、私の堂々とした態度が我慢ならないのである。
結果として私の周りに残る人たちは、ほとんどが謙虚であるか、自己評価が低い人たちだなと思う。自信満々な私の態度と干渉しても、「まあこの人はすごい人だしな」とすんなり認めることのできる器の広い人が残っている。彼らの中に混ざっていると自分一人性格の悪い私が明確に浮くので、私も表面上大人しい振る舞いを心がけるようになったが、それでも傲慢さは隠しきれない。
また、私の方でも自分より能力が低い割に態度がでかいやつのことは嫌いなので、基本として彼らとは相性が悪い。
正直、自分より能力が低く、それをカバーするだけの努力もしない人間に時間を使うつもりはない。私は私が心からリスペクトできる人間のことしか尊重しない。こういう偏屈なところが過去人を遠ざけてきたんだろうなと思うのだが、この性質はどうしても直らなかった。
まあそういうわけなので、私が「優しい人」だと思っているかもしれない人たち、それは勘違いです。私は私が褒めたいと思った人のことしか褒めないし、気遣うことにメリットがあると思える相手のことしか気遣わない。そういう生き方をずっとしてきたのでこういう独特の空気を纏うに至ったというわけなんですよね。私は心から尊敬できる相手にしかへりくだらない。
私がそばに居続けることを選んでいる時点で、その人のことをかなりの部分認めているという証拠なので、今付き合いのある人たちは「へ〜〜そうなんだ、やっぱり山田さん、性格悪いなあ」でオッケーっす。その上でどうしても居心地が悪くなったらシャットアウトするなりしてください。
私もそもそも自分を省みることはずっとしてきて、その上で結果を積み重ねて自信をつけていった人間なので、この自信には裏付けがあると思っている。ので、自分を曲げることはしませんし、できません。
傲慢さも私を彩る一つのアドバンテージなのだ。その傲慢さは周りにもだだ漏れなのだろうし、私もそれでいいと思っている。
私は、私を愛している。