特定の誰かを糾弾する意図は全くないのだが、時折目に入った創作物で、登場人物が展開の都合とかそういう振る舞いをさせればウケるだろう、という意図で亡くなったり不幸を背負う場面がしんどい。
作者にその登場人物に対する「愛」が全くないのだろうな、と言う気持ちにさせられて、まあ誰が苦しむわけでもなく見ている自分が辛いだけなのだが、ああ、この人物は生みの親である作者にすらも愛されなかったのだな、きついな、と言う感情に駆られるのである。
愛のあるなしは、私のごく主観的な視点であり、本当は作者側に「不幸な人間ほど愛しい」という感情があるのかもしれない。とはいえ、その場合においても作者の嗜虐心を満たすために登場人物が不幸に見舞われているわけで、ある程度のご都合が重視されている面は否めない。
上手く言えないのだが、創作、という形で出力されるからには、そこに作者の愛情があって欲しい。登場人物に対する愛と敬意、彼らが作中で生き、死ぬことに対する責任。彼らの人生を彩る様々な副次的要因に至るまで、とにかく作者自身が考え抜いて、悩んで苦しんだ上に編み出されるものであってほしいのだ。
翻って自分の生産体制はといえば、特に悩むことも苦しむこともなく頭に浮かんだ内容を諾々と出力しているに過ぎないから、実は自分の抱いている上記のような思いと矛盾している。なので、これは私が勝手に創作者に感情をおっ被せているにすぎないのかもしれない。
それでも、作る人間には作ったものに対する愛着や執着があってほしい。それがない作品はどんなに面白い座組になっていてもなんだか見ていて辛いな、と思うのである。
それだけではまるっきり私の趣味嗜好になってしまうのでもう少し掘り下げると、世の中には「生み出すキャラクターに対する愛でものを作る」タイプと、「作ることそのものが楽しくて仕方ない」タイプ、「俺スゲーを作中でやるために物語などを編成していくタイプ」がいると思う。私がモヤるのは主に三つ目の「俺スゲー」タイプである。
彼らはとにかく自分を投影したキャラクター(大体主人公がこれに当たる)を、かっこよく、気持ちよく活躍させるためだけに物語やキャラクターを作る。結果としてそのキャラクター以外は、ひたすら彼を引き立てるための脇役として生み出されるのである。有名作品を貶す形になって申し訳ないが、例えば「ワンパンマン」などもこれに当たり、故にあの作品は非常によくできていることは承知の上で、私はあまり好きになれなかった。
私の思う「いい作品」とは、登場人物全てに余すことなく作者の愛が注がれている作品だ。そうした作品では、悪人や敵役すら魅力的に描かれるし、主人公とてなんの悩みもなく無双する、みたいな展開にはならない。
全てのキャラが平等で、等しく困難とそこからの逆転、成功を背負わされる。そこにご都合主義は存在せず、彼らは創作物として生きているに過ぎないとしても、ただただ一つの過酷で取り返しのつかない人生を生きているものである。
創作物の作者には、生み出したキャラクターに対する責任をちゃんと果たしてほしい、というのが私の願いである。まあ前述の通り、私もあまり作ったキャラクターに愛を注ぐタイプではない。そこは反省しなければなと思うし、しかるに愛を持って自創作に接する人のことは皆尊敬している。
確かに創作物として生まれたキャラクターに人権はないかもしれない。でもね、彼らをご都合で虐げれば虐げるだけ、作者自身に歪みが溜まっていくんですよ。
キャラクターは消費物ではない。いいね。