頭の中に言葉が蓄積する

山田 唄
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 割とちょくちょくそこらで書いている事なのだけれど、私は1インプットすると10吐き出さなければいられない人間である。インプットした物事から無意識に思考の枝葉を伸ばして連鎖的に様々な事を考えてしまうので、それらを逐次アウトプットしなければ頭の中が言葉で溢れて溺れてしまうのだ。

 そんなわけで創作という趣味に辿り着いてからは、ほとんど切れ間なくアウトプットをしてきた。何か考えついたことを形にするために創作をやっていると言うよりは、ぐるぐると頭ん中に渦巻く「言葉」をただひたすら外に吐き出すためにそれをやっている。調子が悪かったりや他のことに時間を取られたりなんだりでアウトプットができない期間が嵩むと、顕著に体調が悪くなる。

 そんなわけで、いつからか私は一日に定量のアウトプットをこなすことを自分に課すようになった。

 インプットの量もある程度日々定量化して、淡々と噛み砕き、飲み干しては吐き出す、という生活をしている。私がたまに言う「作業を始めると何かが頭の上に降臨し、“これを作れ“と私に言ってくるのでその通りに作っては出している」と言うアレも、つまりはインプットに際して頭の中にモヤモヤが生まれるので、それをそのままアウトプットしていると言う意味である。

 私の目の前には常に、過去のインプットから創生された雑多な映像が、チープな音楽と音声付きでだらだら垂れ流されている。それを私は一人、小さな劇場の座席に座ってぼんやり眺めている。たまに嫌な映像が流れてくるので目を逸らそうとするのだが、壁の四面全てがなんらかのスクリーンで埋まっていて、そこに終始映像と音声が流れてくるので、他に意識を逸らすと言うことすらできない。一度流れてきた映像は創作として外に出さなければいられない。

 自由なようで不自由な創作生活をして生きている。これが私が時折「自分は自分の意思で作品を作り続けているのではなく、作る義務があるから続けているだけだ」と言う所以である。

 最近は、老化による体力の低下から、長時間椅子に座ってタブレットの画面に向き合い続けることがなかなか厳しくなってきた。頻繁に集中力が切れるし、その度に作業を中断して気晴らししなければいけない。その間も頭の中には言葉が累積し続ける。

 そんな有様なので、「作る」以外の人生を選べなかったのだ。私はどうしたって何かを作り続けなければ生きていけないし、実際作ることをやめて頭の中に溜まる言葉と四六時中向き合わなければいけなくなれば、発狂して何かとんでもない行動に及んでしまう可能性がある。

 だから今日も、なんらかの形で「言葉」を吐き出し、頭の中を都度軽くしてやる。

 難儀な生き方だと思うが、まあそうして吐き出したものを見てくれる人もいるし、不幸せなばかりでもない。そろそろ自分は作ること以外の能が無いことを認めなければいけないなと思っている。創作の奴隷。その如きもの。

 今日も雪のように頭の中に言葉が降り積もる。

@yamadauta
創作やりながらギリギリで生きているおじさん。ここには普段考えてはいるけれど表に出せないタイプの思想強めの文章を書いて出ししていこうと思います。