この書きたいという衝動は、一体なんなんだろうか。
いままでブログらしきことに着手しては黒歴史にしてきた。
それでも定期的に書きたいという気持ちは沸き起こる。
なんだか、まだ文字になりきっていない、たくさんの黒い線が絡まって、毛玉になって、腹の中でゴロンゴロンと転がるような。
書きたくて書きたくてしょうがないのであれば、もう書いている。そうしていないのを考えると、おそらく根源的な欲求ではなさそうだ。
だって、寝たければ寝る、腹が減れば食う、書きたければ書いているのだから。
内側から湧いて出てきている訳ではなければ、外からの刺激を受けてのことなのかもしれない。
そう思うと、ふと大好きな歌人や詩人が頭をよぎった。
俵万智
まず、俵万智。
たしか我々の世代の中学校の国語の教科書にも出てきていた。
大人になってから知ったことなのだが、まだ生きてる人、というか全然若くていらっしゃる。(いや、そのとき教科書でちゃんと習え)
彼女が詠んだ短歌で僕が大好きな詩。
たんぽぽの綿毛を吹いてみせてやる いつかおまえも飛んでゆくから
抱っことは抱き合うことか 子の肩に顔うずめ子の匂いかぐとき
子育てに関する教育論は世に溢れている。だけど、子に向かい合う心情をこんなにうまく言葉に表し、読み手の胸をあたためるものが他にあるだろうか。
他にも、彼女はお酒も嗜まれるそうで、
冷蔵庫にオリオンビールある日々を悪くないさと過ぎる四十代
一人では飲まぬ酒なりワインとは和飲あるいは輪飲と思う
カッコイイ。
こんな言葉を受けとると、こちら側はもう言葉にならない。
この短歌をつまみにして乾杯しちゃいたい。
彼女は物書きという生業があったから、東日本大震災を機に沖縄に移住できたという。
(書くことが仕事だと移住もできるのか)
僕の書くことへの憧れは、このことに影響を受けている部分があるかもしれない。
茨木のり子
茨木のり子の詩も国語の教科書に載っていた。
好きな詩を列挙したいのだけれど、ちょっと長いのでWEBから拝借。
痛快な語り口が印象的で、「あぁ、たしかにそうだよなぁ、僕もがんばろっと」などと思わされる。
彼女の言葉にはチカラがあって魅力的だ。
ヨシタケシンスケ
ヨシタケシンスケは大人気な現代の絵本作家であるが、僕はエッセイが好き。
カッコよくないところ、やわらかなところ、そんな彼の人間性が大好きだ。
そして、そういう思想や言動をクリエイティブで表現できていて、僕のような人をグッと惹き込んでしまえていることに憧れているのだと思う。
あと大人向けの絵本も良いんだよなぁ。
ちゃんとどういうところが良いのか書き記しなさいな、と自分を責める声が僕の脳内に響き渡っているが、これはまた今度。
言葉に魅了されている、だから僕も書いてみたい
さてさて、彼女らや彼が作ってくれた言葉に魅了されているんだな、と改めて思った。
魅了されているから、自分も体験したい。
例えば、おいしいものが好き→食べたい→もっと言えばおいしいものを作ってみたい→誰かに食べてもらいたい、といった感じ。
そんな何層かの構造になった欲求を僕は持ち続けていて、良い言葉に巡り合ったり、言葉を味わった時に、自分も書いてみたくなって、それでいて、あわよくば、それに価値を見出したいと願っているのだろう。
だから、書きたい気持ちになるのか。