書ける……書けるぞぉ!
というわけで、モーニングページからバレットジャーナルを経て、なんとか文字を書くことに慣れてきた僕であるが、なんだか自分が日記マニアになってきた感がある。
ただ、せっかく書くことを始めてみても、そのうち意義を見失って、めんどくさくなって、飽きる。そこまでがセットになっていて、そんなサイクルを繰り返している気がしてきた。
いや、まだ僕の書くポテンシャル、書き続けるスキルが足りないだけで、次のフェーズで何かを得るんだ!という気概で取り組んだライフログ。
ライフログ
ライフログは、行ったこと/起こったこと/思ったことを、とにかくメモし続ける。
流石に紙に書き続けるのは手間なので、スマホやPCを使う方が良い。デジタルメモツールはたくさんある。なんでも良いのだけれど、僕はnotionを使うことにした。notionではコンテンツに階層を持たせたりDB管理ができるので、便利。
例えば、
日付をトグルにして、各ログをぶら下げる
月ページ内に日ページのリンクをまとめる
DB化することでカテゴライズ、タグ付け、天気などの入力フォーマット作成が簡単
過去の僕のある日のライフログはこんな感じだった。
子ども送り
プロテイン
胸肉仕込み
シャワー
外出
ダイソー
プチプチ、テープ
ローソン
メルカリ出荷
ごはん
鶏胸肉、手羽先
休憩
仕事MTG
洗濯、干す
夕方MTG
ごはん
プルコギ、鶏胸肉、そば、サラダ
ワイン
寝た
この日は多分、仕事を午前休して身支度を済ませてから用事をこなし、午後から在宅で仕事をして、筋トレのために鶏肉を死ぬほど食っていたのだろう。(なのに筋トレのログがないのはなぜだろう)
こんな風に、何かやったら、notionにログを書く、ということをやっていた。常にnotionは開いていて、サッと書き込む。時間を決めて1時間ごとに記録するのも良いと思う。
単語や短文でスマホに書くだけだし、思い返してみると、モーニングページの活用ができている気がする。というのも、モーニングページは朝の時間に思いつくままに書き続ける、という手法だが、ライフログは朝に限らず日常の中に書くタイミングが細切れになっていて、その時に思ったこと(=すぐ前の動作や思考)を書く。
ライフログには、もう一つ利点がある。検索性に優れていること。
行った場所、やったことを細かくログに残していて、デジタルテキストで残っているので、検索機能ですぐに思い出したいことにアクセスできる。
旅行で京都に行ったのいつだっけ?
前回通院してからどれくらい経ってたっけ?
公共料金支払ったのいつだっけ?
なんてことを思い出すのに脳を雑巾かのように捻って絞って記憶の雫が出すのに苦労するようなこと誰しもあると思うんですよね。それもnotion内で単語検索すればすぐさまでわかる。
notionを使ってる人であれば、もうお気づきなことであろうと思うが、notionではチェックリストも簡単に作れる。ルーティンにしていることをチェックリストにしてフォーマットに組み込んでおいても良いし、やりたいことリストのページを作ってリンクを貼っておくだけでも良い。
ただ、notionを使いこなせるnotionマスターであれば、そもそも書くことにこんなに苦労してない僕なのである。
ガッチリとしたフォーマットを組むと、手帳で挫折した時と同じように、書けなかった時に書けない自分と対峙しなくてはならなくなる。そして難なく負ける。億劫になってしまう。なんのためにログをとってるのだ、と。書かなくても良いのであれば、書く必要がないのではないか、と。
いや、そもそも書きたいから書く方法を模索しているわけなのだから、この矛盾は本末転倒以外の何者でもない。悲しいほどに。
ここまでくると、書くことで何が満たされるのか、を中心に据えるべきなのではないか。ポジティブな目的は目標の達成、ネガティブな目的では備忘、など。とっても合理的だ。
でもさ、でもさ、それじゃあんまりにも味気ないじゃない。とダメダメな駄々のこね方をする心の中の小さな僕という厄介なペットのご機嫌とりをしながら、書くことを突き詰めなければならない。え、苦行すぎん?
僕には書けるようになりたい、書くことで何か価値を見出したい。これが初心であることを自分自身に語りかけながら、そっとライフログnotionを閉じた。
次回は書くモチベーションの工夫
なぜ書き続けらないんだ。と先ほどの心の中のリトル僕が、胸の地面の部分をその辺に落ちている木の棒でイジイジしているからか、なんだか心が落ち着かない。次はモチベーションを維持して、今日このブログ、4日日に至る工夫を紹介したい。
当然、この次回予告をすることで書くモチベーションにもしている。
(続く)