僕が子どもに言わない8つのこと ⑤⑥

やまでぃ
·
  1. 「早く」と言わない

  2. 「何してんの」と言わない

  3. バカにするようなことは言わない

  4. Youメッセージを使わない

  5. 明日、死んだとしたら後悔することはしない

  6. 抽象的な指示をしない

  7. 赤ちゃん言葉を使わない

  8. 親の真似の場合は責めない

明日、死んだとしたら後悔することはしない

僕たちは東日本大震災を経験している。その前にも、阪神淡路大震災、新潟県中越地震、そして今年の能登半島地震。

たくさんの方が被害に遭って、亡くなられている。地震だけじゃない。テレビでニュースをみれば、事故や火災で毎日何人も亡くなっている。

亡くなった方自身も、その家族や友人も、昨日の時点で、明日そんなことになるなんて思いもしていなかったんじゃないかな。

日常は、突然、呆気なく、儚く、崩れる。

事故や天災が、自分や家族に襲いかかってこないなんて、誰が言い切れるだろうか。世に起こっている不幸は、僕たちの現実世界と地続きになっている。他人事だと思えない。

2年前、僕の子どもが心臓の手術を受けた。あの時、一時的に心臓は止まっていて、また動きはじめて、いまもなお働き続けてくれている。

そんなこともあって僕の教育方針は子どもを甘やかすことになった。

生きててくれているから、笑ってくれるから、僕に作ったパンをおいしいって食べてくれるから、それだけで十分なわけで。バカな親だって笑われてもいいんだ。

怒るより、許した方が、後味が良い。

急かすより、待ってあげる方が、心の余裕をもって過ごせる。

同じ明日は来ないかもしれない可能性を孕んだ日常のなかで「もっと優しい言葉をかけてあげれば良かった」なんていう後悔は、取り返しのつかない最悪な結末だと思っている。いまからでも「かけてあげたい言葉」をかけるべきだと思う。

抽象的な指示をしない

子どもに声をかけるとき、いくら「がんばれ!」と言っても「もうがんばってるのに」と思われてしまえば、それ以上、響くことはきっとない。

子どもが危険な状況で「危ない!」と声をかけても、きっとその場に佇んだりしゃがみ込んだりして、逃げられないだろう。

抽象的な指示では動けないことがある。抽象的な言葉から、察して、思考を先回りして動いてほしい、というのは遠回りじゃないかな、と思う。しかも、その期待が叶わなかったときにはお互いフラストレーションが溜まる。阿吽の呼吸でハマる良さもあるとは思う。それには熟練の技とコンビネーションが必要になる。

前例として示した「早く」と「うるさい」にも通じるが、行動を求めるような指示になっていないのがよろしくない。

もうひとつ、僕も言いがちで、気づいたときには言い直す言葉がある。

「気をつけて」

気をつけられる人が、気をつけられる方法で、気をつけた結果、身についた気をつけ方を知っているから言えることだと思う。つまり経験則から生じる言葉だ。経験が少ない人、失敗したことがない人には、ニュアンスは伝われど、何をするかまでは伝わらない。

子どもが冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに牛乳を注ごうとしている。

「こぼさないように気をつけね」

コップに牛乳パックの口を向け、狙いを定める。牛乳パックを傾けるがなかなか出てこない。ある程度、傾けたときに牛乳はドボっと飛び出て、コップを外れる。

だから言ったのに。

そして、なみなみと注がれた牛乳の入ったコップを両手で持ってリビングを、そーっと、そーっと、忍足で歩いてくる。

「こぼさないように気をつけてね」

そーっと運んできているのだが、足元のトミカのミニカーを避けるのに、体をひねる。遠心力で牛乳がコップのふちから溢れる。

だから言ったのに。

2つのシチュエーションで発せられた注意を促す言葉は同じ。でも気をつけ方が違う。

オトナは何回もコップに飲み物を注いだことがあるから、飲み物が自分が思う以上に多く出てしまうことがあることを知っているし、内容量によって力の入れ加減を調整することができる。コップには、なみなみと注ぐことはせず、余裕を持って注ぎ、持ち運ぶことができる。足元に障害物があっても、手と足、両方に意識を配って回避することもできる。気をつけられるのだ。

「こぼさないように気をつけてね、気をつけるというのは、ゆっくりゆっくりそーっと傾けて、少し出るから少しずつ入れて、あんまり入れすぎずにね。持ってくる時は、手元と足元を両方よく見て、牛乳の上のところが動かないようにそっと持ってきてね、ゆっくりでいいから」くらい自分なら言い換えるかもしれない。

「気をつけるというのは……」の部分を自分の経験則に倣って、気をつけるべきポイントを押さえて対処方法まで伝えないと伝わらない。伝わらなければ意味がない。

抽象的な指示ではなく、具体的なポイントと行動を伝える必要がある。

続く

次回、「赤ちゃん言葉を使わない」と「親の真似は責めない」について書いていきたい。いままでのこども目線に立ち返るものでなく、ちょっと違う観点、親側の思考のお話になるやつ。