書きたい、書きたい、と思うも、「書く」という動作と「ノートを開いて、ペンを持って、姿勢を正し、手と腕の筋肉を駆使する」という動作には、なにかとてつもない違いがある。
同じ書くでも「スマホを手に取って、SNSを開いて、寝転びながら、親指を滑らせる」もある。これは意識しなくてもできた。
いまは「パソコンを開いて、いつも開いているブラウザにカーソルを合わせ、姿勢を正し、指先でキーを叩く」という動作をしている。結構がんばって書いている。
ブログを書く、しかも今日で三日目だ。我ながら感心してしまう。
もし同じ想いを抱えている人がいたら、ここに至るまでの練習を参考にされたい。
手帳
手帳を書く。
それだけで丁寧に生きているような、デキるビジネスマンのような、そんな尊い響きがしないだろうか。
毎年1月や4月の節目には、ロフトなどの店頭にたくさん並んでいる。ひとつひとつを手にとっては、デイリー・ウィークリー・マンスリー・フリースペース・白い日本地図・達成したい夢を書くページ……どんな機能が、どのような順番で、どれくらいの大きさの枠なのか、悩んで迷って、これに決めた!と意気込んで、我が家のデスクに迎え入れる。
だが、続かない。
最初は、線を引いたり、色を付けたり、ルールを作って書くことを楽しめるのだが、だんだん字は汚く書き殴るようになり、書かない空白が気になってきて、しまいには手帳を開くのが億劫になる。
そして半年くらい経って、次の手帳の季節に移り、振り出しに戻る。
僕にとって書くことのスタートに手帳は向いていなかった。丁寧でスマートな手帳生活は遠い。
モーニングページ
もっと書くことのハードルを下げたかった。
そこで出会ったのがモーニングページだ。
朝、起きた時に、思ったことを思ったままにノートに書き記す。ただそれだけ。
僕にとって早起きは、そんなに苦なことではない。
特別な物もいらない。ノートとペンがあれば良い。
僕がモーニングページを始めるのが先か、動画を見るのが先か、岡田斗司夫のYouTubeでも取り上げられていて、俄然、書くモチベーションが上がったのを覚えている。
脳内の呟きより手で書くスピードの方が遅いのが良い。また、思ったことが文字に残るので、同じことを何度もなぞらなくて済み、思考を繰り返さなくて済む。そんな感覚が心地いい。
手法として紹介されているのは、3ページ埋まるまで書き続ける、という物だが、そんなに書けない。疲れたり満足感が出てきたりしたら、そこでやめていた。それでいい。
モーニングページは僕に合っていたようで、けっこう続いた。
過去形なのは、もうやっていないから。やめてしまったのは、自分のために書き続けることに意義を見出せなくなってしまったのと、書くことを始めるという役割を終えた感があったから。
いまでも何かモヤモヤした時なんかには、朝起きてダーっとノートに吐き出す。
ありがとうモーニングページ。
こうして僕は書き始めることができた。
続く
自分自身、長い文章を読むのが苦手なので、今日はここまでにさせていただこうかな。
書きたいことを分割する、という画期的な技を閃いたので、さっそく披露したいと思う。
(続く)