素読みをする

yamazato haruka
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文学フリマを来週に控え、制作中のZINEの入稿が目前に迫っている。誤字脱字チェックを手伝っているが、他人の原稿が面白くてついつい読み耽り、調べ始めちゃったりして全く進まない。時間をかけてじっくり読んだはずなのに、見つかった誤字はたった2箇所。いや、絶対にもっとあるはずなのだ。

編集者をしている友達に「性格がいいから誤字脱字を見つけられん」と言うと、「素読みがいいよ。意味を考えずに音読してみな」と言われた。すよみ?彼が言うことは大抵ウソなので、ふーんと軽く受け流す。

素読み、ね〜…と思いながら試しにやってみると、一個見つかる。二個みつかる。スルスルと、五個、十個、二十個近く見つかる。ウソでしょ?

くまなく探したはずの原稿は、「意味」や「感情」を排除すると、穴だらけだった。そして、不思議なことに、内容を読んでいたときにはうまく咀嚼できなかった(排除したはずの)意味がスルスルと入ってきて、やっと原稿を読めた気がしたのだった。

思い返すと、普段仕事をしていても、意図的に意味や感情を排除し、コトを進めるためにはこれやんなきゃだわ(めんどいけど)、とモードを切り替えている場面があるような気がする。あれは素読みだったか。

意味や感情を一旦脇に置いておくからこそ、ときには見えてくるものがあるんだなあ〜と、身をもって知った体験だった。