ただ絵を描き、見るための勇気

Yamamoto Isao
·

絵を描くことそれ自体は本来とても素朴で純粋な営みだったはずなのに、いつのまにか個人的な慰みとしてしか成立しないなにかに成り下がってしまっていやしないだろうか。生計を立てることだとか、価値を作ることだとか、どうしてか雑音ばかりが大きくなって、ただ絵を描いて、ただそれを人に見せるという原初的な形態はむしろとても難しくなってしまっているように見える。

などといいつつ、ぼく自身は絵を描く人ではない。あくまでも、絵を描く人たちの話を見聞きして書いているだけである。だけど、奥誠之の実践は、絵を描くことが窮屈になってしまった人たちに、ただ絵を描くことを自体を純粋に肯定してくれるもののように見えるのだ。

奥誠之の絵には時間がかかる。気の赴くままに絵筆を乗せていくと、なんとなく人や動物の図像が見えてきて、だんだんと絵らしくなっていく。けれど、そこから完成までには時間が必要になる。1枚の絵ができるまでには1-2年かかるという。サイズは小さいのだが、このサイズに賭けている。その時々で思っていたこと、考えていたことが、画面に擦り付けられていく。自分自身でプラカードを作ってデモに参加する行動も厭わない画家だが、絵を描くことそれ自体も等しく社会的実践と捉えているのだ。

他方、鑑賞者として絵と向き合うための時間も求められる。ぼんやりと描かれた図像がなんだろうかと見ているうちに、なにか想像をふくらませたり、記憶を辿る時間がある。気のせいだろうか、奥誠之の絵は、思ったり考えたりしたことを無為に言葉せよと迫ってこない。優しく肯定してくれているように感じるのだ。

著書「ドゥーリアの舟」では、絵を描くこと、そして見ることは、それ自体「ケア」だ、と書いている。絵を描く人にただ絵を描くことを、絵を見る人にただ絵を見ることを肯定してくれることは、本当に心強いことだと思う。ただ絵と向き合う勇気が得られる絵と本の展示「ドゥーリアの舟」巡回ツアーの広島での会期は、今週末11/19(日)までです。どうぞお見逃しなく。

@yamamotoisao
山本功です。広島でアートに関わっています。tamentai.co.jp