不可能な実践への葛藤を超えて

Yamamoto Isao
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アリー・ツボタさんとのトークイベント「原民喜との対話」を行った。「Reflecting Hiroshima – リフレクティング ヒロシマ」の今年度プログラム「往復書簡/Correspondance」の第2弾企画として開催したものである。

アリーさんはアメリカ合衆国在住のアーティストだ。2022年に茨城県のARCUS PROJECTのレジデンスプログラムに参加し、詩人・小説家の原民喜との想像上の往復書簡を行った作品に取り組んだ。今回のトークでは、このときの作品について詳しく伺ったあと、リサーチプロセスや、倫理的な葛藤、可能性と不可能性など、さまざまな示唆のある議論に発展した。同時通訳をはさみながらの進行で、どうしても時間が限られてしまったため、余裕があったら聞いてみようと思っていたことについてここに書き留めておこうと思う。

アーリーさんの作品の見た目の上での印象は、ミニマルで削ぎ落とされたものに見える。それゆえ、アウトプットに至るまでの制作プロセスは想像力に依拠した瞑想的なものを想像していた。ところが実際は、緻密で、構成的なアプローチを採用していたというものだから、少し驚きがあった。言うまでもなく、すでに半世紀以上前にこの世を去っている「過去」の人物との対話を成立させるためにはさまざまな困難がともなう。残された文物と丁寧に接近し、ひとつひとつの言葉にできるだけ裏付けを与えようとたくさんの赤入れが入った資料には、非母語の文学と格闘した様子が見て取れた。

想像上の往復書簡という、そもそも不可能な実践における倫理的な葛藤の議論も興味深かった。昨今のディープラーニングをめぐる課題のことも思い出す。すでに解散したバンドの過去の楽曲を学習し「新曲」を生み出したという話題や、故人である美空ひばりの歌声を「再現」するプロジェクトなども記憶に新しい。こうした事例を鑑みるに、原民喜の文章を学習させることで、「原民喜bot」のようなものを構築することはきっと技術的には実現可能なのだと思う。

人間の学習量はいまや人工知能に到底及ばない。その意味で、アウトプットの確からしさもボットのほうが勝るだろう。ましてや、今回の学習対象はアリーさんにとっての非母語である日本語で書かれた文章だ。詩的な描写や、日本語特有の擬音語も多用されている。

アリーさんのプロジェクトの可能性は、むしろこの不可能性と背中合わせにあるということが強調されていた。「ボット」が生み出す「確からしさ」の空虚さを思いみるに、アーティストならではのやり方とはなんだろうかと考えた。ひとつのポイントは、その対象自体と向き合わせる見せ方にあるだろう。ただ読むものというだけでなく、対峙するものという対象になることで、見る者の想像や解釈の幅を広げられる可能性を持ちうる。

もうひとつ、関係性を錯乱することによる効果について触れたい。リフレクティング ヒロシマは、死者や他者と出会い直すことを活動のひとつの軸としている。 日本語を母語とする我々にとっても、過去の文学はすでに随分と縁遠いものとなってしまっている。いまこの時代に、改めて「出会い直す」ために、ある種の「不可能」な実践は新鮮な意味を持つ。

筆者は見知らぬ誰かに話しかけるのがあまり得意ではない。海外で道に迷ったときも、まずはwifiを探して自力で調べようとする。そこで同行者がしびれをきかせて通行人に尋ねたりするのだが、そこで英語が伝わっていない場合は見かねて筆者が通訳に介入する、といった回りくどいコミュニケーションを何度もしたことがある。主体的に直接アプローチするよりも、だれかが挑戦しているのを手助けすることのほうがハードルが低いこともあるのだ。このプロジェクトを通じて、「ヒロシマ」に反射的に接近する、そんなやり方を模索しているところである。

 

本イベントの内容は、後日アーカイブ記事として公開予定である。どうぞお楽しみに。

@yamamotoisao
山本功です。広島でアートに関わっています。tamentai.co.jp