過酷な雪との暮らしで培われた自分

yamotty
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今年の年末年始も実家のある青森県・弘前市の辺境へ帰省をした。辺境、と書いたのは、本当に市の端っこにあるからだ。

今年の青森は10年ぶりの豪雪で、毎朝起きると50cmをこえる積雪が庭や車庫を埋め尽くす、白銀の世界だった。50cmというのは以下のような感じ。

帰省中のほとんどの時間を、子どもたちは外の雪遊びやスキーに費やし、私は雪かきに投じた。

片田舎にある実家のやけに広い敷地は、雪かきには大変不利だ。高齢の両親が毎日この豪雪と格闘しているかと思うと、せめて自分がいる時くらいは楽をさせたいと思う。

雪かき、というと、地面にある雪を掃いてどかすようなイメージがあるかもしれないが、実際は全く違う。

大きなダンプ型のスコップのようなもの(ダンプとか呼ばれている。以下イメージ)に、できる限りの雪を積み込んで、すでに雪を積み上げられた雪山へのぼり、雪を廃棄する。これを何百回と往復して、やっと車を動かしたり人が歩くスペースが確保される。

毎朝5時位から雪かきを始めて、2時間ほどでやっと完了する。しかし、雪かきをしている側から吹雪で雪が積もり、4時間もするとやり直しが求められる。

1日に何度も雪かきをする。サボると、次の雪かきは2倍大変になるから。

そのたびにいそいそとスキーウェアを着てついてきて、ソリで遊ぶ子どもたちに、かつての自分や妹の姿を重ねたり。

近年の青森も温暖化の影響を受けてか、だいぶ雪が少ない冬が多かった。そんな中での今年の豪雪は、自分が青森に住んでいた20年前を思い出させた。


ちょうど20年前、高校3年生に進学した春に、私の父は八戸へ単身赴任となった。

春夏秋の間はなんの問題ないのだが、そう、問題は冬である。

その年の青森も、今季と同じくらいには豪雪だった。むしろそれが「普通」だった。

家には私と母と妹。毎朝の雪を処理しないと、通学も通勤もできない。毎朝毎晩、一緒に雪かきをしていた父はいない。そして何より私は大学受験を控えていた。

今と同じように、毎朝4時台に起きては雪かきをすませ、6時過ぎから支度をして学校へ行き、受験勉強をして帰宅。家に帰るとまたどっさりと雪が積もっており、雪かきをしてから勉強の続きに励む、という冬だった。

「なんでこんな大変な時期に、雪かきをしないといけないんだよ。」と思ったことは、1度や2度ではない。

それでも雪をなんとかしないと、私達家族は生活ができなかった。愚痴を吐こうにも相手は自然で、言ったところでどうしようもない。

いつからか、「自分にはどうしようもないこと」を受け入れ、「自分にできることだけやろう」というマインドが芽生えていった。

要はさっさと雪かきを終わらせ、削られた体力を取り戻し、できる限り効率的に勉強する、ということだ。

雪かきは"我慢" だったはずが、"生活の一部" に変わった。苦手な勉強も同じだ。日々の雪かきや、勉強すら達成感を感じさせるものになっていったことを覚えている。

除けた雪を高く積み上げた山に登り、少し高いところから自宅を見ると達成感を感じられて好きだった。今年もそうした。


自分の考え方の根っこは、この過酷な雪との生活でできたんだな、と思う。

自然で暮らすことが当たり前の生活は、東京や大阪など都市での暮らしとは全く違った。

多くのことは、自分の思い通りにはならない。思い通りにならないものは受け入れてしまえ。その中でもできることを見つけて、自分をアジャストさせていくほうがうまくいく。

仕事でも同じような向き合い方をする。市場のことは、自分たちにはコントロールできない。できるのは市場の波を受け入れ、少しでもうまく乗りこなすことだけだ。

自分がどの土地に生まれるかは、100%が運だ。生まれた土地の条件を受け入れるしかない。

自分がどの市場を選ぶかは、運の要素は少ないように思うかもしれない。しかし、市場の動きはほぼ100%が運だ。受け入れるか、(できるのなら) 退出するしかできることはない。

私はコンテキストを大事にする。青森の厳しい雪で育ったことを"無駄が多かった"と切り捨てる事もできるが、そうはしない。"意味があった"と見出したり、なにかに活かしたいと思う。何も出自に限ったことではない。すべてのことに自分なりの意味を見出したほうが良いと考えている。

厳しい雪の中で、家族と編んだ日々が今の私を作ったのだと思う。

@yamotty
しずかなyamotty。 ブログ→ yamotty.tokyo