「自分のビジネスの解像度を上げ、集中する」
こう言われたら「何を当たり前のことを」、と思う。ほとんどの人がそうではないだろうか。
ところがどっこい、難しいのはこの当たり前、だった。
たとえば、スタートアップがPMF後に大型調達をし、事業を伸ばすために採用で急拡大をする、広告宣伝費で一気に認知を獲得する、というのは常道のように言われる。
じぶんもそうした。
Xで適当にVCの人をフォローして、その人のnoteを読んだら3人に一人くらいは書いてそうな内容である。
Xやってないから、知らんけどな。
しかし、その採用、その施策、その仕事は自分たちのビジネスの何に、どう効くのか。それはリーズナブルなのか。明確だろうか。
自分には曖昧なところがたくさんあったと思う。「イシューが〜」が口癖のくせに。非常に恥ずかしい。
本当に大事じゃないイシューでも「これはイシューだ」と言わせてしまうような、”何か”がそういったミスを誘発する。
”何か”。それはリソース余裕からくる「慢心」。
お金があると、そのお金の使い方を考える。
時間があると、その時間の使い方を考える。
人がいると、その人の活躍して貰う方法を考える。
すべて、リソース起点の思考(リソース思考としよう) だが、これは完全な誤りである。
自分のすべてがこうだった、とは思わないし、むしろ「事業に大事なこと」から逆算するタイプだとは思う。これを事業思考としよう。
でも余裕があると、リソース思考がどこかで混ざってしまうのだ。
「もっと採用をしたほうがいいのでは」「もっとお金を使ったほうがいいのでは」「A社ではこんなふうにやっている」とコメントをもらったとしよう。大事な人から言われると、当然一度は考える。
その後、事業をしていて、「あれもやったほうがいいな」というシーンと出くわすと、「やっぱりもっとやらないといけないんだ」と思う。よくあるだろう。
そうして事業思考に一滴のリソース思考が落ちると、純然とした事業思考を保つのは容易ではない。
白は一滴の墨で黒になる。一度黒になると、白に戻るよりは「前もこうだったし」が積み上がり、黒が深まる。
繰り返すが、その採用、その施策、その仕事は自分たちのビジネスの何に、どう効くのか。それはリーズナブルなのか。明確でないといけない。
ビジネスは顧客数と単価と提供コストで出来ている。顧客が増えるのか、単価が増えるのか、提供コストが減るのか。
経営者は、企業の現実空間にこの問が常に出てくるようにしなくてはいけない。自分が問うのではなく、自分が問わなくても常に「問が在る」ようにしなくてはいけない。
慢心を捨て、自分たちのビジネスのモデルに、企業のすべてが集中できるようにすること。これができるようになったら、立派な経営だと思う。
売上の大きさ、成長率の大きさ、利益率の高さ。こういったものは、経営者の質より、事業のドメインや市場の特性に依存する。ほとんどコントロールが出来ないものだ。
でも、自分たちが選んだ市場で、類似する競合他社(COMPS)よりも高いパフォーマンスを出せるとした。それは、経営の質だろう。
自分は未熟だったが、もっと経営の質を高めたいと思っている。
そういう気持ちを簡単に表現しようとすると、「自分のビジネスの解像度を上げ、集中する」ということになる。
なんかアホっぽい。