自分自身のキャリアというものに無頓着なままここまできた。起業してしまってからはさらに自分にとって意味が薄い概念になってしまったとも思う。実際に、事業をどう立ち上げて成長させるか、ということ以外は自分のキャリアには無関係になっている。
そんな私だが、人からは割とよく相談を受ける。年末年始は普段より豊富に時間があったので、まとめて相談を受けてみた。
キャリアというものが肩書き、報酬の向上を指すケースもあれば、自身のケイパの向上を指すケースもあり、人によってまちまちな使われ方をしている。
しかし、一段深めると、「適性があること」と「willがあること」の交わる機会へどう辿り着くか、という方法論がキャリア形成の本質なのではないか、と思った。それであれば、自分でも話せることがある。
「適性があり、willがあること」というのは言い換えると健康的に報酬や待遇を高められる機会である。ただし、その機会の上限まで。てっぺんまではやり尽くせばいい。
難しいのは、そこに至るルートで「適性はないがwillはあるもの」と「適性はあるが、willはないもの」のどちらを優先すべきかで多くの人が悩んでいる。結論は適性優先だろう。
適性がある場所は退屈でも成果がでるため、3つ得るものがある。
報酬
交渉力
舞い込む次の機会
結局のところ「適性があり、willがあること」というのは探したり、求めたり、偶然出会うしかない。このどれにとっても1,2,3というのは重要である。なぜなら触れられうる機会の総数が増えるからだ。
特に日本の雇用は「できる人に、これまでやったことない仕事を集める」ことでせいりつしている。ジョブディスクリプションは機能しない。なので、適性のある仕事で成果を出すと、交渉力や偶然舞い込む機会は指数関数的に増える。線形ではない。選択肢が圧倒的に増える。
会社経営の立場からするとこの特性は難しさもある。日本の企業がいうてアメリカと比べてもフレームワーク化やモデル化に弱いのはこの性質を経営者も被雇用者も抜け出せないからと思う。
ということで、適性をうまく使い、成果を出すことだけがキャリアにつながる。今の機会が適性があるかどうか、あるいは、これから適性を獲得できるかどうかから考えると良い。
ちなみに起業前に自分が考えていた適性とは、「big techが参入しない、目立たない、人がやりたがらない、持続力が競争力になる、プロダクトマネジメントの能力が産業レベルで必要」な市場だった。当時は物流か、小売かなぁ、と考えていたが、あながちズレてはいなかった。ただ、ケイパレベルで言うと機会に対して足りないものを補って適性を獲得する日々を過ごしてきたように思う。振り返ると自分にとっては幸いなことに楽しいことだった。