器、とは、背負える荷物の大きさだと思う。
10代や20代の頃は、ハングリーであればわかりやすくポジションがとれる。
死ぬこと以外かすり傷というマインドセット。無くして困ることはない、コッカラッスのマインドセット。捨てるものがないから、強度で勝負しますというポジショニング。
ただ、なにかの成果ができて資産ができたり、結婚したり、子供が生まれたり、背負う荷物が増えると、このメンタルモデルは維持可能なものではなくなる。
そのとき、背負った荷物を捨ててしまって、同じメンタルモデルで次の成長を目指す人と、荷物を増やしながら戦い方を変える人、そして荷物の重さからレールを降りる人がいるように思う。
自分は荷物を増やしながらの戦い方を考えている。しかしながら、どこか後ろめたい気持ちや、「もっとハングリーにやれよ」的な自傷的思想があった。
子育てしながら働いた。。誰かと自分を比べた。インナーサークルから向けられた目。そんなときにジレンマを感じる。抱えてきたジレンマの正体はこれだろう。
今では受け入れている。抱える荷物を増やしながらでも、自分の目的をどう達成するのかに集中できるようになってきた。
器で戦うなら、時間や許容力を武器にしていく必要がある。逆に、長く戦うことを決めたなら、自分には器で戦う道しかないと思える。