センシティブな文章を書く

屋根裏
·

※本文章には頭の悪いすけべ文章に関する記載が多く含まれています。健全な文章をお読みになりたい方及び清らかな心でいたい方は閲覧を控えてください。

世の中にはすけべな文章を書くのに昼夜頭を悩ませている人種がいる。

昨今、性の知識も昔に比べればずいぶんと手に入りやすくなった。しかし知識をそのまま書いたのではただの保健体育の教科書のコピペだ。

いかに読者に響き、作者も満足のいくすけべ小説が書けるかは極めて難しい課題である。

描写

「AとBは深い口付けを交わした」という描写があったとする。あなたはこれをすけべだと感じるだろうか。だいたいはあーうん、チューしたんだくらいにしか思わないだろう。それではいけない、ではどうしたら良いのかと言えばプラスアルファが必要なわけだ。「目と目が合う。二人の唇が合わさる。最初は触れるだけのそれが段々と濃密なものとなり…」みたいな風に展開させた時点でやや色気が出てくるがまだまだ足りない。何が足りないのかと言えば汁気、水気が足りないのである。具体例を挙げるには健全な文章から逸脱するおそれがあるためしないでおくが効果音や触感などで臨場感を持たせることが重要と考える。

台詞

これは好みがだいぶ分かれるところだが、やはり喘ぎ声や息を吐く音などはあったほうがいいように思える。中には描写より台詞に重きを置く場合もある。気持ちが良いなどはっきり伝えることができるのでとてもお得だ。書いてて恥ずかしくなるときもあるが慣れれば無心で書けるようになる。多少やりすぎ、わざとらしく書いてもいいだろう。

などと考えながら日々センシティブ文章と格闘しているわけだがそれでも納得のいく文章というものはなかなか書けない。これは書いたことがあるものならわかるだろうが「これははたしてエロいのか」というのが常に頭にある。

センシティブ文章を書いていると陥りがちなのだがエロい文章を書きたいな、が段々と煮詰まるとエロってなんだという哲学的な領域に達してしまう。そこに答えなどないのだがともかく嵌ってしまう。そんな自信のないまま書き上げると前述のこれはエロいのか?という結果になりがちだ。もはやそこに下心など無い。

今書いていて気づいたのだが、多分これが原因だ。考えすぎてすけべ心を失う。いくらなんでも執筆中常にゲヘヘとしているわけにはいかないがまるで失ってもいけないものだ。なぜかといえばすけべ文章を書く原動力こそすけべ心であり、すけべ文章を読みたいからすけべ文章を書いているのだ。

ワクワクする気持ちが無ければ心躍る冒険小説が書けないのと同様すけべ心が無ければ血湧き肉躍るすけべ小説は書けまい。

世の中のすけべ小説書きたちよ、おそらく共通の悩みを持つ者は多いことだろう。もし悩んだならとりあえずなんか自分が思うすけべを摂取しよう。そして何かがチャージされたら筆をとろう。きっと書けるはずだ。

きっとあなたのすけべ小説はエロい。

@yaneura
一次創作小説を書いている。 お茶が好き