二の足を踏む

ito
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体力が保つか心配していたQUEENのコンサートは無事に楽しむことができた。

これまでの人生のほとんどをこの地で過ごしてきて、はじめての東京ドーム。なんて広くておおきいの。チケットに書いてある自分の席に一番近いゲートにたどり着くまでにもずいぶんと時間がかかった。そのあいだにも熱気で満ち満ちた人の波に揉まれそうになる。これが東京ドーム、と頭のなかで何度もつぶやきながら、その凄まじさを身をもって味わった。

パフォーマンスは最初からおわりまですべてすばらしくて、有名な曲しか知らないわたしでもこんなに夢中になってしまったのだから、彼らのファンである人たちにとっては本当に夢のような時間だったとおもう。もしかしたらもう2度目はないかもしれないこの機会、瞬間を味わえてよかった。(後から知ったのだけれど、なんと電気グルーヴのお二人も同じ日に観にきていたらしく、ひとりで声を上げてしまった。)

今月の2日は外来の日だった。いまの大学病院ではじめて診察を受けてちょうど1年。入院をしてからも、ちょうど1年が経った。そしていま、再入院を提案されている。

血液検査の結果があまりよくなかったこと。退院してからこれまでの期間で、また入院前の体重まで落ちてしまったこと。それに伴って気持ちのコントロールが難しくなっていること。自分でも漠然と感じていたことではあったけれど、こうして言葉として突きつけられるのはやっぱりショックだった。

先生は入院を悪いことだと感じなくて大丈夫だと何度も言ってくれる。むしろこの1年間、よくここまで自分の力で頑張りましたねとも言葉をかけてくれた。決して後退してしまったわけではなくて、また心身ともに立て直す自分を守るための方法だと考えてほしいと。

もうしばらくずっと、自分のなかでこうなってしまった理由を探り続けている。もしかしたら明確な答えはなくて、これまでのあらゆる物事の積み重ねの結果なのかもしれないともおもう。心配をかけてしまっている人たちがいる事実が申し訳なくて、ごめんねと謝るたびに「わたしたちのためじゃなく、自分のために健康になってほしい。大切なあなたの身体とこころだから」と言葉が返ってくる。

どうしたらいいのだろう。そんなことをぼんやりと考えながらエレベーターの開くボタンを押したまま降りる順番を譲っていたら、それぞれの人たちが目を合わせて「どうもありがとう」「お先に失礼します」と穏やかな色で声をかけてくれて、なんだか泣きそうになった。

ひとが持つ優しさややわらかさだけでこころを満たしていきていくことができたらいいのに。