楽しさと悲しさのそれぞれ

ito
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カメラを新しくしてから、どんなに短い時間でも外へ出るときには必ず持ち歩くようになった。以前持っていたものはなかなかに重たくて、気合を入れてからでないと手にする気持ちになれなかったので、せっかく買ったにもかかわらず積極的に使う機会があまりなかった。いまのものはちいさくてとても軽い。自分の生活の瞬間を残していけたらいいと前から考えていたから、うれしい気持ちがある。

前から心待ちにしていたフェスイベントに行って、こころ踊ったり涙したりした。複数のアーティストさんが参加する形式のライブがはじめてだというのもあって、普段は自分から聴かないようなジャンルの楽曲を体感できたのはとても新鮮。個人的に安藤裕子さんの『衝撃』を生で観ることができて、終始背中が震えるような心地だった。

いまの状態で体力が保つか心配だったから、その日は会場すぐ近くのホテルに泊まることに。当日までどうしようか悩んでいたけれど、そうしてよかった。ひとりではちょっと持て余してしまいそうなおおきいふかふかのベッド。どれを選ぼうか悩んでしまうくらいに豊富なアメニティ。贅沢な時間が疲れきった身体にじんわり沁みて、たまにはこんなふうに宿泊してみるのもいいかもしれないとおもった。

翌朝。どこかふわふわ浮き足だった気持ちのまま帰路に揺られていたら、なんだか違和感。最初は気のせいかもしれないとやり過ごそうとしていたものの、だんだん頭のてっぺんから血の気が引いて身体が冷えていくたしかな感覚があって、慌てて目をつむった。いままでの経験から、スマホや窓の向こうに意識を向けようとするのは逆効果になるとわかっていたから、ただ深呼吸をしてできるだけ無になろうと努めた。でもだめだった。

頭の奥がチカチカ白く点滅して息苦しさが出てくるなかで、「車内で倒れて電車を止めるのだけはいやだ」なんて、どこか他人ごとみたいに冷静に考えている自分がなんだかおかしかった。停車した駅のホームに降りるのと同時にとりあえず座って休もうとおもったけれど、そのまま地面に倒れ込むしかできなかった。ああ、汚いかな。上着とか、あとでちゃんと洗わなきゃな。

人に迷惑をかけたくない気持ちと、もし最悪の場合に失神したとしても、ホームなら誰かの目に留まって救護室に行けるかもしれないという希望が交互に押し寄せる。でも運が悪いというべきなのか、その駅はビジネス街の地下にある静かな場所だったので、日曜日の朝は利用者がとても少なく誰かが通りがかるような気配はなかった。だだっ広い地下鉄のホームの柱の陰でうつ伏せに倒れている自分の様を客観的に思い浮かべると、すごく格好が悪い。それに、なんだか孤独。床タイルのつめたさもそんな気持ちをいっそう煽る。

すこしのあいだそのままでいたら徐々に持ち直してきて、どうにか歩ける程度にまで回復したので、結局助けを求めるタイミングを失ったまま家に帰ることができた。自分がたまらなく恥ずかしくて情けない。せっかくたのしく過ごせたとおもったのにな。ちょっと泣きそうになりながら、2月14日に控えたQUEENのコンサートのことが心配になった。