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ito
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体調を崩してから退院まであまりにもバタバタとしていたり、身体や気持ちの面で余裕がなかったので、あらためてちゃんとまとめておこうかなとおもう。

まさか自分が重たい感染症に罹るだなんて(それも退院が間近に迫ったタイミングで)想像もしていなかった。正直初めのほうの記憶はもうそれほど残っていなくて。覚えているのは血圧が一気に下がって失神して頭を打ってしまったことと、それからあれよあれよという間にたくさんの検査をして、大部屋からナースステーションの隣の部屋に移ったあと、気がついたら心電図や酸素チューブが取り付けられていたこと。緊急事態だったので、主治医の先生が急遽、消化器内科の先生に切り替わったこと。家族を通して先生からいまの自分が重篤な状態であると聞かされても、あまり実感が湧かなかった。高熱もあったし、呼吸をするたびに胸が苦しかったりしたのもあって、考える力もなかったのかもしれない。いのちの危険があるのに、それでも予定している日にちゃんと退院ができるのか、そればかりが心配だった。

4日ほど絶食をしながら点滴で栄養を補っていたけれど、24時間繋ぎっぱなしだったのもあって、たったの2日で8キロ分の水分を蓄えた身体は自分でもこわくなるくらいに浮腫んだ。抗生剤と利尿剤を使いながらただずっと静かに眠っていて、不安な気持ちでいっぱいだったのを覚えている。

体重を増やして栄養を補うために入院したのに、こんなことになって当初の目的とは真逆の治療をする必要ができてしまって、敗血症が落ち着くまでの1週間でなけなしの筋肉や体力がごっそりと落ちたのが自分でもわかった。

先生や看護師さんたちの手厚い治療のおかげで身体の調子が良くなってからは、以前よりもすこしずつ食欲が出てきて、完食できなかったパンや主菜を食べ切ることができる日が増えた。あと大きな変化があったのは、食後にすぐに横になったり1日中身体を休めることに対しての罪悪感が少なくなったこと。入院して1ヶ月が経つころにはじっとしていることへの不安のおおきさに耐えられなくて、隠れて動いたりスクワットをやめられずにいたことがとてもつらかった。もっと早くに本来の治療に心身を委ねられていたらと思うけれど、でも退院の間際とはいえ短い時間でもその穏やかに気づけたのはよかった。

食欲が出てくるにつれて、食後の軽い膨満感にさえ不安になったり、そうかと思えば1つだけを食べるつもりがスティックパンをまるまる1袋必死な様子で食べ切って、そのあとにパニックになってしまったり。調子の良し悪しの波も大きかった。でもそのたびに看護師さんや先生に自分のなかにある恐怖心を打ち明けて、たくさんのアドバイスをもらうことができた。自分の心を開くことも、以前は簡単にはできなかったから。

2ヶ月間の入院で増やせたのは2.5キロ。前回は5.5キロで、当初の目標値には残念ながら届かず、先生たちとしてはできればあと1ヶ月入院を続けてほしかったようだけれど、最初の約束とわたしの気持ちを汲んでくださって、退院後は自宅療養をがんばることになった。いまの体重でも本来ならすぐに入院が必要な数値ではあるし、退院すれば病院で制限がかかっていたときに比べてどうしても活動量は増えてしまうから、本来ならできるだけ底上げをして蓄えたほうがよかったということで、先生たちはやっぱり心配そうだった。わたし自身も、自分の力で食べることができるか、運動をせずに静かに過ごすことができるか、かなり不安はおおきい。

でも、自分の力ではもうどうしようもなくなったとき。つらくてたまらなくなったときにいつでも頼れる場所があるのは、それだけでとても心強い。この病気は簡単に治るものじゃなく長い時間をかけて寛解に向かって行くものだから、入退院を繰り返しながら、すこしずつでもその間隔を長くしていけるようにしましょうと、あたたかい言葉をかけてもらった。たまらなく心配な気持ちはあるけれど、とにかくいまは、いまの自分にできることを積み重ねていけたらいいとおもう。自分を受け入れて、認めて、ゆるしていけたらいいな。