勤労感謝の日。東京アートブックフェアに行ってきた。
なんとなく秋めいた落ち着いた色合いの服を着ていきたくて、今年の春ごろに買ったにもかかわらず一度も身につけていなかった深緑色のワイドパンツに、気持ちいつもより丁寧にアイロンをかける。サイズがあまり合わなかったことを思い出して、慌ててベルトを探し始めたのは家を出るほんの数分前のことだった。
遅刻してしまうかもしれないという不安は結局のところ杞憂に終わって、むしろ約束していたよりも早めに着いてしまったので、すこし時間を持て余す。
いつものように、ごく当たり前のように。流れるような動きでスマホに手を伸ばしかけて、近ごろはあらゆるSNSから意図して距離を置いているのだと恋人から聞いた話が頭をよぎった。
いまの病気を抱えるようになり、身体とこころに充分な栄養が届かなくなってからというもの、健康だったときと比べて自分の集中力がぐんと低下している自覚はずいぶん前からあった。パソコンやスマホを取り出せば飛び込んでくる膨大すぎる情報をうまく処理できず、頭の中がいっぱいいっぱいになってしまうような、そんな感覚。
ものは試しにと、恋人がやってくるまでただ静かにぼうっと待つことにしてみた。なんでもない考えに意識を巡らせたり、駅の改札を行き交う人たちを眺めたり。それは思っていたよりも穏やかで心地がよくて、たとえ短い時間だとしても、時にはこうしてデジタルのものから離れるのも大事だなと感じた。すぐに実行できるかどうかは別として、心がけていきたいとおもう。
恋人と合流。開場するまで時間があったので、近くの木場公園を散歩するついでにカフェに立ち寄ることに。
わたしは温かい紅茶と、カップのミルクソフトクリームに黒蜜きな粉をまぶしてもらったものを注文した。窓から見えるドッグランではちいちゃな犬たちが楽しそうに駆け回っていて、そういえばわたしのいぬはこういった場所があまり得意ではなかったなと、懐かしい気持ちになった。犬見知りな子だったのだ。
会場に着くのと同時に、入場待ちのために列をなしている人の多さに圧倒された。それだけこの日を心待ちにしていた人がいたということ。わたしの高揚感はすでにもう高いところまで昇りつめていた。
今回アートブックフェアに初めて来た大きな理由は、以前から作品に惹かれていたアーティストの方が出展することを知ったからだ。
持ち前の心配性が顔を覗かせたわたし。売り切れてしまったらとても悲しいので、人の波を縫いながらまずはその方のブースへ行くことに。
これまで画面を通してでしか知らずにいた人が自分の目の前にいるというふわふわした夢心地には、いつだって緊張してしまう。本を購入することはすでに決めていたため、サンプルを手に取ることも考えずにお会計をお願いした。受け取る際にお礼を伝えるまでの始終、わたしの様はきっと心許ないものだったはずだ。
ほっとひと息をついてから、購入した本を抱えながらゆっくりと他のブースを回る。どこも素晴らしい作品ばかりが並んでいて、ずっと目が忙しかった。億万長者だったなら小指ほどの迷いもなくこころ打たれたものすべてに手を伸ばすのに。
気になる方々の名刺をいただき、いくつかのポスターを買って、美術館に併設されているカフェで喉を潤した。蜂蜜とレモンのジャスミンティー。この日はあまり寒さを感じない陽気だったので、ひかえめな甘さがちょうどいい。
こんなにもこころ踊るイベントが行われていたことを知らなかったなんて、もったいない。購入した本は再来週に控えた引っ越しが落ち着いてから大事に読んで、ポスターは新しい部屋に飾ることにしよう。
帰る道すがら。たくさんのデザインに触れた自分の胸が充足感でいっぱいになっていることに気がついて、たまらなくうれしい気持ちになった。