がんばる才能

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ここでは有益な情報を書くことはあまり求められていません。「たくさんの人に読まれなくていい」「自分のために、ひょっとすると、どこかの誰かのために」そんな気楽さで文章を書くための場所です。

静かなインターネットの使い方では、この様に書かれています。あまり人には語らないような、でも誰かに話したいような、行き場をなくしたもやもやを発散するのにちょうどいいなと思い、今これを書いています。特に有益な情報もないし、汚い言葉もあります。

大学受験の話になりますが、僕はこれまで塾に行くこともなく独学で勉強し、偏差値60くらいの国公立大学に現役で合格することができました。

ただ、自分は特別頭がいいわけではなく、高校でも最下位争いをしていたレベルで、夏の時点では、余裕でE判定だったので行けるわけないと思っていたということもあり、これは結構すごいことだな、と自分では思っています。

ただ、よく友達に地頭がいいもんねと言われることがあるのですが、自分ではあまりそうは思っておらず、自分はただの典型的な凡人だと思っています。

ですが「がんばる才能」は恵まれていた、と思っています。

受験全盛期には、ほぼ毎日最低10時間くらいは勉強し、休日は14、15時間ずっと家にこもって勉強して、毎朝一番早く学校に行き自習室で勉強、休み時間に弁当食べて昼休みを勉強に充てる。お風呂に入ってる時間は英単語の勉強、登下校中はイヤホン繋いでリスニング。ご飯を食べながらYouTubeで勉強。トイレに英単語の付箋を貼りそれを眺めてうんちをする、そんな毎日。

今思うとなかなかに狂ったような生活ですが、なぜ自分はここまで頑張れたのだろう、「がんばる才能」とは何なのか、と色々考えたことがあります。

結論から言うと、ここまで頑張れたのは「自分が典型的な凡人であると気づいたこと」と「我慢が多い人生だったこと」が大きいと思います。

中学までの僕は、特に勉強せずにいい点数が取れていて、周りから「なんで勉強せずにとれるのすご~い」と言われるような結構うざいやつでした。そんな感じのまま高校に進んで、勉強せずにいると、知識の量が中学と高校では全く違うので、当たり前のように落ちぶれていきました。自分には特別な才能はないと気づいたのは、この時期からもしれません。

2つ目に関して、僕の家庭はそこまで裕福ではなかったので、小さい頃から欲しいものが買ってもらえず、我慢しなさいとよく親に言われました。周りの友達がスマホを買っているのに、自分だけ持ってなかったことで泣いたりしたこともあります。みんながスマホゲームで遊んでる中、自分だけがおさがりでもらったまともに動かないiPadの画面を、恥じらいを紛らわすためだけに眺めてる、といったこともよくありました。そんな家庭なわけで、受験期も私立や塾に行くという選択肢は最初からありませんでした。

そんな我慢が多い人生だったので、中学の頃から「将来は絶対にお金持ちになる」という気持ちが芽生えていきました。それは高校の頃まで、ずっと枯れることはなく、むしろ些細な会話の中でも、その芽が心のどこかですくすくと育っていたような感じがしました。そんなこんなで、高校3年生の頃に「絶対いい大学に行って、いい企業に就職してお金を稼ぐんだ」という肥大化した欲の塊が、心に顕在化していました。

この2つの要因が、高校3年くらいの頃に、受験というトリガーによって弾けたのかもしれません。他のみんなは塾に行って勉強してる中、才能もなくこれまで勉強してこなかった自分は独学で勉強。普通にやっていては、敵うわけがありません。しかし、いい大学に行きたいという気持ちがこの時に膨れ上がっていた事で、この2つが良い方向に弾け「だれよりも頑張って、だれよりもたくさん勉強しよう」という、とてつもなく固い決意が出来上がりました。

僕の場合「がんばる才能」の正体は、これまで抑圧されていたことで、心の片隅で大きくそして濃く膨れ上がったお金に対する執着心と、自分が典型的な凡人であることに気づき、かつ、それを認めたうえで真剣に向き合った結果だったのだと思います。

「がんばる才能」とは元々あるのではなく、その人の人生の中で開花していくものだと思います。

将来の夢を想像してみてください。その夢を本気で実現させたいと思えば思うほど、この才能はきっと開花していきます。