今日はたのしい話できないぽい!あなたにはたのしい話をたくさんお聞かせしたいのですが、今はなんだかどんよりして苦しいのを書き出すので精一杯みたいです。ワーッてなったらすぐバックしてね。この言い回しむかしよく聞いたな。ブラウザバック!そうだブラウザバックだ。すきに部屋を出てもらってかまいませんからね。
買い物して帰るバスの中、目を閉じて考え事していたら不意にめちゃくちゃ嫌だったことが浮かんできて、ああだめだって思ったのにわたしの脳は一度嫌なことを思い返すとそいつをスクラッチのごとく擦り続けて輪郭を明確にしてくる構造になってて、ウワーッやめろやめろ!!!と思って窓の外をがんばって見つめていた。いやまあ不意にというか、人とのお喋りの中でその嫌なことについての話題が上がったのをまた思い出したというだけなんだけど、週四くらいで夢に割り込んできて最悪の目覚めを提供してくるものごとに現実でまで追っかけられたらたまったものではない。でもこういうことにかぎって鮮明に思い出す。
いやなことはいやで、でも誰かにとっていやなことがどれなのかなんてわかんなくて、分かり合えることなんてできないからお互い言葉探りで触れ合って知っていくしかないと思っている。人間について。言ったりやったりしてはだめなことってアプリオリに存在しているわけではないから、社会や関係性という後付けの構造をそれなりに保つために作って定めていく必要がある。だからわたしは懸命に対話をしようとする。あなたと、わたしで、話をしたい。分かり合えるとかじゃなくて、知って作っていくしかないから。
かつてわたしにとってすごく傷つくことを言われて、それでも対話を諦めきれずに「ここに踏み込んで言及されるのはつらいから可能であれば言わないでほしい」と伝えたとき、そんなことを言うな、年上を敬え、と怒鳴られたことがある。わたしの祖父母だった二人のひとだ。血がざあっと引いていく感覚、それでいて頭の中がものすごく熱くなってくちびるを噛み締めた瞬間をずっと覚えている。そんな状態だったときの記憶を書いたってフェアじゃないだろうとかそのときの相手の真意もそれこそ知ろうとしなければ知ることができないとかいくらでも反論は浮かぶけど、でも、思い出すと未だにわたしがわたしの手から離れて炎の塊になってしまう。それがすごくいやだ。わたしは信じたい。信じたいのに、信じることができないわたしになってしまう。
だからこういうときには音楽に縋りつく。春ねむりの「あなたを離さないで」。この絶叫が胸を貫くとき、折れてなるものか、と思う。
あなたを枠に押し込めないで、あなたにラベルを貼らないで、あなたを端から拒まないで、あなたと話したい。わたしは、わたしから手を離さないでいたい。それができるって信じたい。折れてなるものか。折れてなるものか。
今日は唐突にいっぱい叫んでごめんなさい!でもこの場所をゆるしてもらえてよかった。すこし喉のひりひりが少なくなった。明日も生きるぞ。どうか、あなたの夢には素敵なものがいっぱい出てきますように。また今度。