タイトルはHazeの「NOISE」より。かっこいいって思うけど決して遠くには置きたくなくて、胸の中で響いていてほしいって思ってしまう曲。Katyさんの、きゅ…っ、て細くなる声がすごくすてきだ。
小学生のとき、一時期だけ、いわゆる「タイプの違う」子と二人きりで過ごしていたことがある。なんでそうなったかは覚えてないんだけど。その子はお洒落なものをたくさん知っていて、毎日かわいい格好をしてきて、流行りのものが載ってる雑誌をたくさん知ってる子だった。わたしはお気に入りの分厚い本がたくさんあって、国語が一番得意な教科で、男の子にからかわれると反撃する子だった。だから親しい友達も異なっていたし、それまではお互い「クラスメイト」くらいの感覚だったと思う。
でもなにかのきっかけがあって、あるときからあるときまで、何をするにも二人だった。教室移動とか帰り道とか、毎日二人だった。昼休みにはドッジボールをする人達を見ながら校庭の隅に座っていろんなことを喋った。交換日記もしてた。わたしのしょうもない話にその子はたくさん笑ってくれたし、わたしはその子がハマったワードを擦り倒してたくさんおどけた。すごくたのしかった。
その関係がなくなったのはいつだったんだろう。もう全然覚えていない。いつの間にか「クラスメイト」に戻っていた。でも険悪になるとか距離が遠くなるとかじゃなくて、お互い繋いでいた手をぱっと離して、空いていた場所にすとんと座ったような感じだった、気がする。
ひょっとするとあの子は“いつもの場所”を抜け出して、わたしのところに遊びに来ていたのかもしれない。あるいは、息がしやすい場所を探していたのかもしれない。でもそんなことはどうでもよくて、ただあの頃のあの子にとってもあの日々が、たのしいものだったならいいなあ、と思う。
Katyさんにどこか似ている子だったから、見るたびにすこし影を重ねてしまう。そんな理由でなんかいっぱい書いちゃった。今もどこかでたのしく笑って過ごしてるといいなあ。わたしって自分で思っているよりも自分の過去にいた人たちを愛しているみたい。なんか意外!過去って汚れたレンズで撮ったぼんやり写真だからそうなるのかも。でも人間ってそうじゃなきゃ耐えきれなくなるのかも。そうなのかな。おくすりを飲む前はたしかに耐えきれなくなってた気がする。
呪うことって平熱じゃできない。覚えているってこと自体が、両腕に荷物たくさんぶらさげて流れに逆らってる状態だから執念だよな。忘れていったから愛するって行為はある種、過去のわたしを泣かせることかもしれない。あんまり泣かせたくないな。わたしは、泣きじゃくっているこどもの自分を抱きしめるために生きている人がだいすきだから。サツマカワRPGとか。神戸尊もそうかもしれない。シルヴァンやフィガロにもそうなってほしいけどなかなか難しいだろうから、何度でも彼らの手を取る。
やっぱりそうでありたいな。あなたを愛したいと思うし、それでもこどものわたしを抱きしめてあげたい。この難しさの上を歩いていく。
なんか読み返したら今日いつもよりさらに日記じゃないね?!曲聴きながら思い出したこと書いてそこから自分のことを自分にだけ分かる言葉で書いてしまった。いつもたのしく書いちゃってます。あなたもここまで来てくれてありがとう。春ぽいけど冬だからあたたかくして眠ってくださいね。また今度。