I'll always love you And I will always miss you

やわぬの
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死がものすごく近いところにいて耳鳴りがする。つとめて明るい動画や音楽を聴いて未来を見ようとしているけど、“いなくなる”ことが鮮明になりすぎた空間はちっとも薄まらない。これが悲しみに身を浸して時間経過を待つしかない出来事だとすれば、どうやって生きる方へ逃げられるのか分からない。吉本ばななの『ムーンライト・シャドウ』を思い出す。薄氷一枚の下にいつでもこれが待ち構えているのにどうやってなにかを愛して生きていけばいい。わたしのぜんぶあげたっていいから帰ってきてって全身を絞るように祈るこの苦しみが、わたしが生きていることで、愛した者のぶんだけ繰り返されるのだとしたら、それはとてつもない絶望じゃないか。他者にはいくらでも嘯くことができる。わたしは物語を作ることと無垢な顔をすることが得意だから。だけどわたしはわたしの物語にかからない。薄氷が割れて落ちていったいのちはもう二度と応えてくれないし帰ってこない。そんな法則のある世界で愛する者がいつか死ぬいのちを生きている。そんなのとても耐えられない。自分の死が唯一それを避けられるのだとしたら、わたしは、わたしは、 それでもこれを書いてしまえばぜんぶ終わってしまうと分かっていて、分かっているから書けない、わたしが愛したものたちに顔向けできない、書けない。神戸尊さん、わたしはあなたの終わりを見届けるからって言ったのにこんなザマで、なにかが終わるということをわたしは真に知らなかったのだと痛感しています。どうすればいい?わたしがこれ以前のわたしならば「それでも生きていくしかない」と間違いなく信じて答えていたけれど、以降のわたしは頭をぶん殴られて暗闇に頭を突っ込んだみたいな悲しみがどれだけ、どれほどのものか知ってしまっているから、こわい、こわい。死なれることはこわい。わたしが終わることなどほんとうはこわくもなんともないのだ。失うことだけがずっと、ずっとこわかった。そして初めて失って、思っていた以上に痛くて苦しくて悲しいのだとわかった。これに耐えてまで歩む価値のある人生なのだろうか?わたしは?引きずられる、おくすりが効かない、ひとを慰めることはこんなに上手なのに自分を騙してやっていくことは下手で見てらんないよ。おくすりを増やすしかない。こわい。幼く振舞って何も知らない顔をして家族を支えようとしている。うまくやれているだろうか。愛する文鳥がわたしたちに与えてくれたものをわたしが埋めることなんてできやしないのに。家族の心中にぽっかり空いた暗闇にはわたしはいない。薄氷一枚の上にわたしたちは乗っている。次がわたしだったらどれほど楽だろう。すべてをわたしの終わりで背負ってそれからぜんぶ無くしてあげられたならどれほどいいだろう。愛する者たちはしあわせに生き続けてほしい。でも死は平等だと言う。こわくてしかたない。愛する者を失うことだけがこわい。こんなにも痛い。こんなにも悲しい。生きていてよ。生きていてほしかったよ。さみしい。こわい。どうすればいい?どうすればいい、どうしようもないのに。生と死の哲学がこういうときのためにあるのならば、わたしはまだまだぜんぜんなにも足りていなかった。どうしようもないなら、どうしようもないなりに足掻くしかない。考えよう、考えることしかできない、こわい、こわい、かなしい、帰ってきてほしい、帰ってきてほしいだけだ。

@yawaraka7nuno
誰かは見ててくれたかな 誰かは聞いててくれたかな あなたは覚えててくれるかな