請平凡而自由地生活唱

やわぬの
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タイトルは雷光夏の「光明之日」より。『返校』という映画のエンディング曲。昨日の夜に見返したから今日はこの曲にしました。何度聴いても胸が苦しくて、ほんとうに苦しくて悲しい気持ちになる。でもこの映画を絶対に忘れたくない。絶対に忘れたくないから、ここにも記しておこうと思う。

『返校』の舞台は、1960年代の台湾。白色テロ下で人々が戒厳令に縛られていた時代でした。その中で生きる学生ふたり、ファン・レイシンとウェイ・ジョンティンが主人公。

『返校』は元々ホラーゲームだったので、映画も最初はホラー寄りの演出。けれどすこしずつ、ゲームとは違う物語を編み始めるんですね。ジョンティンには一体何が起こって、レイシンは何を決断してしまって、そして二人が一体どういうものに巻き込まれてしまったのか……ゲームではそれが夢か現か混乱する悪夢のように見えたけれど、映画ではもっとはっきりしていて、ひとつひとつ追い詰められていく悲劇以外の何物でもなかった。ゲームは怖くて苦しかったけど、映画は悲しくて苦しかった。どちらも素晴らしかったけれど、わたしの感情を決定的に揺さぶったのは、その先で迎える結末だ。

映画で迎えた結末は、ゲームで迎えることのできる二種のエンディング、そのどちらとも違う。どう違うかと問われれば……わたしは、こう答える。「ゲームでは辿り着けなかった光の先へ手を伸ばして、わたしたちに祈りを繋いでくれるエンディングだった」と。この映画を作ったひとたちは、観客であるわたしを信じたいと願い、そのように作ってくれたのだと思う。初めて観たとき、わたしはそれがほんとうに、ほんとうにうれしくてひたすらに泣き続けた。

だから、わたしもその信頼に報いたい。この映画を、そしてこの映画の向こうにある歴史を、そこに生きていた数字ではない命を、忘れないでいたい。わたしが途切れるときには誰かに繋ぎたい。そして、もうこんな悲劇が二度と繰り返されないように生きたい。だから、ここにも記す。

わたしは『返校』を心から愛しているし、永遠に忘れない。この作品がわたしの人生を訪れてくれて、ほんとうによかった。ありがとう。

@yawaraka7nuno
誰かは見ててくれたかな 誰かは聞いててくれたかな あなたは覚えててくれるかな