心から愛している文鳥が今日の午後二時に息を引き取ってしまって、今日はもうずっと涙を流し続けてときおり眠って、なにもわからないんだけれどとにかく文字を書きたくて、書いています。タイトルはスキータ・デイヴィスの「The End of the World」です。実家で暮らしていた文鳥でした。ほんとうにかわいくて、でも出会ったときはめちゃくちゃ喧嘩っ早くて、きゃるるると鳴きながらわたしたちの指を突っついてきて、それでもなんの怒りもわかないくらい一番に愛していた。愛している。家族の手の中ですうっと眠りに落ちたのが最後だと聞いて、それだけがすごくうれしかった。ひとりでお別れにならなくてよかった。でももうあの鳴き声もごはんを散らかすところも朝駆け寄ってきてくれるところもびびって細くなるところも、写真や映像の中でだけ見られるのだと思うと、ただ悲しい、ただ悲しい。ただ悲しい、それだけなんです。数年前に具合を悪くした時も命の灯が消えそうになって、せめて病院が開く朝まで持ってくれって祈るように真夜中一晩中手の中であたためていたことがあった。手の中でもぞもぞ動くあの子はつらそうで、でもがんばってくれて、ここまでがんばってくれた。愛している者の心臓が止まるとき、どうして私の心臓も止まってくれないのだろう。ただ悲しい。やれたことがあったとか気付けてあげたことがあったとかじゃなくて、変わらない毎日を始めて、変わらない一日を送っていて、それでしずかに眠ってしまったのだから、なにも悔やむべきことはない。だからただ、かなしい、あのこをうしなう日がいつか来ることを忘れていたわけじゃないけど、信じられないくらいかなしい、ほんとうにかなしい、なでられるのがきらいだったけど、朝方ぼんやりしてたらなぜか駆け寄ってきてわたしの手の中で二度寝してくれたり、手のひらに載せたまま大の字でごろんってしたら腕伝いに頬に寄り添ってくれたこと、なにもわすれたくない、ほんとうにかなしい、なみだをながしてもなにもらくにならない、さびしい、どうかあの子が幸せであってくれたらいいなとおもう。かなしい。ありがとう。ふわふわで、ちいさくて、やさしくてつよきで、いつだってかわいかった、わたしの愛おしい愛おしい家族。あいしてるよ。