とある百貨店内のとある本屋にかれこれ十年以上にわたって通い続けている。体調が落ち着かないこともありしばらく足が遠のいていたが、店頭で買いたい本があったので久々に行ってみた。どうやらつい最近、同じ建物内の別の階に移転したらしく、場所が9階から5階へと変わっていた。これくらいの高さならエスカレーターで行くのも億劫にならない。久々の本屋に心を躍らせながら長いエスカレーターを昇るとそこは本屋であった。内装や棚配置がリニューアルされて生まれ変わった、私の知らない姿になった本屋であった。
おそるおそる足を踏み入れた店内は全体的に白を基調とした装いに変わっていて、いい感じだったウッド調の要素は姿を消していた。フロアには隅々まで明るい雰囲気が漂っていて、どこにも薄暗い場所がない。奥まった場所にある、人が滅多に訪れないような棚の端っこにまで光が行き渡っている。いや、まだ諦めるのは早い。どの本屋にも必ずあるはずの、ほこり達の秘密の集合場所のような、見えない何かがひっそり間借りしている一室のような、存在感が薄くてちょっと薄暗い隅っこや角っこが残っているはずだ。棚がだめならこっちはどうかと、一縷の望みをかけてトイレに向かった。だめだった。入り口からして上下左右ぬかりなくすべてが白い。おろしたての白シャツかよと思うくらい白く、私はあっけなく白旗を上げた。ここではその白旗すら場に調和してしまう。完敗だった。
暗くて静かな石の下が落ち着くダンゴムシにとって、明るくて開放的な空間は落ち着かず、かえって息苦しささえ感じる。日頃は長っ尻の客になりがちな人間だが、この日は十分ほどで退散した。下りのエスカレーターに乗りながら、私は激しく悔やんでいた。こんなことなら移転前にもっと通っておくんだった。ウッド調のレジ棚や、図書館を思わせるようなフロアを目に焼き付けておくんだった。本屋に併設されたカフェの窓際の席で、9階からの景色を心ゆくまで堪能しておくんだった。
ここ数年、別れというものにめっきり耐性がなくなった。よく通っていた飲食店が閉店したり、退職して職場の人達と疎遠になったり、そのひとつひとつに耐えがたい寂しさを感じる。喪失や別離をはっきりと突きつけられる別れもあれば、ゆるやかに変化していく中で気づけば別れが訪れていたというものもある。本屋の内装が変わったり、好きだった化粧品のパッケージがリニューアルされたりというのもそのひとつ。それそのものは消えずとも、新しい姿になるということは以前の姿が消えてしまうということで、それはれっきとした別れだ。だからといってなにがどうというわけでもない。ただ無性に寂しい。
世界的に有名な観光地に訪れた際、そこに住んでいる女の子と親しくなったという人の話で、帰国するときに「手紙を書くからね、また会おうね」と再会を約束する言葉を告げたところ、その女の子はイエスともノーとも言わずに黙って笑うだけだった、というエピソードを見聞きしたことがある(出典・詳細ともに失念してしまったので内容に齟齬があるかもしれません。ご容赦ください)。観光地と呼ばれる土地に住み、出会いと別れが生活の一部になっている人たちのことを考える。親しくなった旅人達はいとも簡単に、だが心からの本心として再会の約束をするのだろう。そこに住まう人たちは、その約束のほとんどが果たされないまま朽ちていくことを経験から知っている。また会いましょう、がその人とかわす人生最後の言葉になるかもしれないことを予感しながら、去ってゆく人に手を振るというのはどんな気持ちなんだろうか。
それとくらべたら本屋の内装がちょっと変わったくらい、と思おうとしたが無理だった。寂しいものは寂しい。しかもわりと深刻に寂しい。この年でこれなので、今後いきなり「別れとか人生あるあるすぎ!ってことでじゃあまた来世で!」なタイプにジョブチェンジする可能性も低い。
だから、自分はこれでいいんだと思えるようになりたい。寂しさから目をそらしたりほかの何かで穴を埋めることではなく、寂しさを抱えたまま生きられるようになりたい。ときには後悔や懐古といった感情にもたれかかりながら寂しい寂しいと言って日々を過ごす。そうして別れを惜しみ、別れを受け入れてゆきたい。
変化に別れはつきもので、別れはいつも寂しい。しかし、別れには出会いがつきものということを忘れてはならない。
特に欲しい本はなかったが、またあの本屋に行ってみた。あいかわらず明るくてひらけていて、あいかわらず居心地が悪い。でも本がある。本があるかぎり本屋は本屋だ。場所が変わり空間のデザインが変わっても、置かれている本は10階にあったあの本屋と変わらない。私の知っている本屋は形を変えていまもここにある。
目当ての本を買うためではなく、ひやかしや怖いもの見たさでもなく、「あの本屋に行きたい」という思いを目的にして5階までのエレベーターを昇ったある日、初めてその本屋で本を買って帰った。9階のいつもの本屋で買った本の山の中に、5階の居心地の悪い本屋で買った本が加わった最初の日だった。
明るくて開放的な本屋をまだ好きにはなれない。でも私が生きているうちにまた移転や改装があったら、この居心地の悪い本屋との別れに寂しさを感じるかもしれない。明るすぎて入るのをためらうトイレとの別れを惜しむかもしれない。寂しい、惜しい、と思えるようになるくらいこの本屋に通い、私にとってここが新しい「いつもの本屋」になる未来が、見えなくもない。