0.5センチの成長

詫び寂び
·

自分自身のことについて尋ねられるのが、かなり苦手なほうだ。たとえば好きな食べ物はなにかという、雑談において初歩中の初歩の質問にすら苦手意識がある。カラスガレイの煮つけと筑前煮となますと焼飯と文旦と刺身(エビとイカと鯛)のどれを言おうかと悩んでいるうちに、不自然な無言の時間が生まれ、焦って今朝食べた納豆を挙げてみたりする。ベンチウォーマーの突然のスタメン入りに、納豆よりも私のほうが驚いている。

好きな本はなにか。好きな映画はなにか。どれもこれもありふれた質問だが、どれもこれも鬼門である。気心知れた相手であればいくらでも話せるのに、初対面およびそれに近い人が相手になると、途端に及び腰になる。たくさんあって選べないんです、と濁して逃げたりしているが、そんなもの誰だってたくさんあるに決まっている。みんなその中からパッと答えを取りだして、話を広げたり弾ませたりしているのだ。それが人と人とのコミュニケーションというものだ。わかっている。わかっているからといって、できるとは限らない。悲しいことだが。

だが、私にも迷わず答えられる質問が四つある。出身地と病名と身長、それから足のサイズ。これらに関しては迷う余地がない。答えがひとつしかなく、今後も変わりようがないからだ。

しかし、状況が変わった。この歳にして足のサイズが変わったのだ。

きっかけは一足のローファーだった。学生時代から今に至るまで履く機会がほとんどなく、縁遠い存在だったローファー。私の中で履物の選択肢として長らく存在していなかったそれが、先日思わぬタイミングでインストールされた。靴屋の通販サイトでセール商品を見漁っている際、大幅に値下げされた価格につられてクリックした商品がいわゆるローファーと呼ばれるもので、商品写真を見ていくうちに、縁遠かった存在がどんどん近づいてきたのだ。

運動靴ほどカジュアルではなく、パンプスほどフェミニンではない。どんな場所にも、どんな服装にも合いそうだ。これを履いていけない場所は土足厳禁の場所くらいだろう。着用写真をひたすらスライドしながら、私は非常に悩んでいた。買うか否かではない。黒か茶色か、冒険して白にするか。

失敗しても心と懐が痛まないようにと、まずは安価な店で購入することにした。するとどうしたことか、いつもと同じサイズのものを買ったはずなのに、あきらかにきつい。値段を考えれば個体差が大きくても仕方ないか。履きならせば変わるだろう、とこらえて履いていたが、いつまでたっても履きなれる気配がない。結局、初めて買ったローファーは、私のアキレス腱に数多の傷跡を残した靴擦れ生産靴として早々に引退した。

諦められず、次はもうすこし値段の高いローファーを買った。今なら値段を上げるのではなく靴のサイズを上げろと言えるが、まさか自分の足に問題があるとは夢にも思わない当時の私は、また同じサイズの靴を購入した。おかしい、一足目よりもきつい。無理やり足を押し込みながら、纏足という単語が頭をよぎる。どうも縦幅が問題のようだ。ここでようやく自分の足の変化を自覚した。

後に引けなくなった私は、三足目の購入に踏み切った。値段はこれまでで一番安い。サイズはこれまでで一番大きい。購入先はメルカリ。届いて履いて、感動した。ほとんどやけくそで購入した、顔も名前も知らない誰かのお古の、ワンサイズ大きいローファーこそが私にとってガラスの靴だったのだ。人に履かれて生地が馴染んでいたのもよかったのかもしれない。問題なく足が入り、いくら歩いても痛くならない。バスの時間に遅れそうになって疾走しても、アキレス腱が傷だらけになることもない。プレーンなデザインの黒色で、どこへでも気楽に履いてゆける。

紆余曲折あり、学ばなさゆえに金をドブに捨てたりしながら得たもの。それは、自分が0.5センチ成長していることへの気づきだった。私は私の成長を知るために金を払っていたのであり、ローファーはあくまで副産物だったのだ。これまで履いていた靴が今も問題なく履けている点に関しては、とてつもなく長期的な着用が「馴染む」を通りこして「変身」の域に達し、私の変化に根気強く寄り添ってくれたのだと思っている。

これによって、足のサイズを尋ねられたときの答えがひとつだけではなくなったわけだが、特に問題は感じていない。晴れ時々曇り、みたいな感じで、22.5センチ時々23センチとでも言えば実質答えはひとつのままだ。

衰えに向かって突き進む日々の中で、体重以外の身体的な成長に立ち会える日が来るなんて思いもしなかった。私は裕福ではないので捨てたも同然となった金が惜しくないといえば嘘になる。それでも、成長した喜びを得るために必要な投資だったのだと思えば安いものだ。ありがとう、ローファーをセール品にしてくれていた靴屋の人。ありがとう、メルカリにローファーを出品してくれていた人。0.5センチの成長を胸に、これからもなんとかやっていきます。