いつからか爪を伸ばす習慣がなくなった。それと同時にマニキュアを塗ることもなくなった。今となってはせいぜい短い爪に透明のベースコートを塗るのが関の山で、それだって爪が折れたり二枚爪になるのを防ぐための、必要に駆られてのケアでしかない。
でも、ごくたまに昔みたいに爪を伸ばして色のついたマニキュアを塗りたくなるときがある。そういうときは、色がきれいだからという理由だけで買ったマニキュアをここぞとばかりにひっぱり出してきて、いい具合まで爪が伸びるのを辛抱強く待つ。色づいた爪先が動いているのが視界に入ると、それだけでちょっと楽しい。ジェルネイルではないので、一週間もしないうちに先のほうから剥げてくる。楽しかったと思いながら除光液で湿したコットンで爪拭って爪を切り、また飾り気のない指先に戻る。
母と会う日とネイルをしている日が被ると、母は嬉しそうに私の爪を褒めてくれる。悪い気はしない。というかすごく嬉しい。次は何の色にしようかなと調子のいいことを考えたりもする。でも先から剥げてきたマニキュアを落としたあとは、伸びた爪を短く整えて透明のベースコートを塗る。長い爪や色づいた爪は、私にとってあくまで非日常のものだ。
日常的にネイルをしないのは単純に手入れが面倒だからというだけだが、爪を短くする理由は、作業がしやすいということの他に、ささやかな意思表示の意味もあった。たとえば限られた人だけに解読が許されたモールス信号のように、短い爪の意味を誰かが適切に理解してくれたら。どこかですれ違う誰かが、下世話な憶測や不躾な好奇心ではない眼差しで私という存在を認めてくれたら。
爪ごときにそんな重いものを託すなというぼやきが指先から聞こえてくる。それはそうだ。誰もあんたの爪なんか見てませんけどという嫌味も聞こえてくる。ごもっともだ。だとしても万が一、いや億が一ってもんがあるだろうがよ。そんな不毛な会話を自分と繰り広げながら、今日も爪を切った。