ちょっと悩んだんだけど、初日に見に行った。
化け猫あんずちゃんの原作は、有名でもなければ、知る人ぞ知るって感じでもなく、一巻しかないし、打ち切りっていうか、掲載紙がなくなっちゃうから連載も終わるという地味な終わり方で、なんか例えようのないくらいマイナーな児童向けマンガだと思います。
わたしはサインもらいにいくくらい好きな作品でしたが、その私でもよくこんなマンガを見つけて映画化できたなって思うので、プロデューサーの辣腕っぷりがすごいのかなーと思いました。ファンからすると奇跡のような映画化。
マンガは17年前に読んでいたんですが、映画化は公開3日前に知ったので、なんか別の世界線に飛んでしまったような不思議な気分でした。
ネタバレしかしません
よく出来てたので、気になる人は安心して、すぐに映画館にいってみにってください。
やっぱり、映画の中でもシナリオを重要視する人が、まず気にするのは「お母さん(柚季)」の扱いがひどすぎるという一点じゃないのかなと思います。
というのも、お父さんのクズっぷりはよく描かれているものの、お母さんは優しかったようにしか描かれていません。なのに地獄いきなので、やってることと、結果の釣り合いがとれてません。
またお父さんがあんなので、かりんはネグレクトなのかなと思いきや、上辺では人当たりがいいし、塾も通っているから、かりんちゃんがわりとしっかりもので、大人っぽいところは、お母さんの影響があるんじゃないか、という予測をさせるので、より納得しにくい。
なので、お母さんがいる間は幸せだったけど、お母さんが亡くなって、父さんも荒れてしまって、いまの地獄のような環境ができあがったのではないかと、想起しやすい作品なんじゃないのかなと思います。
けど、やっぱりお母さんは地獄送りになっていて、閻魔大王に問われて、覚悟を決めれるということは、それなりにクズいことをしてる、という設定じゃないと、物語としてなりたたないと感じたので、ちょっと考察してみます。
お母さんのクズっぷりは、かりんを通して描かれている
映画のどこにお母さんのクズっぷりが描かれているかというと、かりんのやる悪行、悪癖が、そのまま生前のお母さんがやっていることを描いてるんだと思います。
根拠のひとつは、かりんは口が達者で演技も上手で、あっという間に街の少年や、妖怪たちを掌握しますが、お父さんは口も達者でもないし、演技も、かけひきってものができないことが、和尚さんとのやりとり、つまり冒頭から描かれています。
なので、かりんの詐欺師っぷりはお父さんからの物ではないんですね。じゃあ、誰から学んだのかというと、学校や、塾でそんなこと教えるわけでもないので、やはりお母さんからなのではないかと推測できると思います。
つまり、嘘をついたり、大袈裟にいったりして、同情を買って、人を欺き、お金を稼いだり、またあんずちゃんの自転車を川に沈めたときのように、気に入らない相手がいると、自分でやるのではなく、その相手がショックを受けるような人物を誘導して相手に嫌がらせをする、といった感じですね。
かりんがクラスの優等生と同じ塾に入ってること、お母さんの墓が高級そうな墓地に入っていたことを考えると、もともとは結構お金を稼いでいたのではないかと思うのですが、まあ、そういう手を使って、たくさんお金を稼いでいたけど、なんらかの理由で亡くなり、そういう才能のまったくない父が残され、今のような状況になったのではないかと。
まだまだ続きを書けるんですが、日記にしては長くなるので、次回「化け猫あんずちゃん2」に続きます。