ダニエル・キイスの作品.
知的障害のある主人公チャーリィが,後天的に知能を向上させる手術を受けて変化していく過程が,本人の経過報告という形式で表現される小説.タイトルは,動物実験で同様の手術を受け知能が向上したネズミのアルジャーノンから.
全編通してチャーリィ本人の文章として語られ,序盤は句読点もなくスペルミスも多い.語彙も少なく世界の解像度も低いままで始まる.だが手術を受けてからはどんどん文章が洗練され語彙力が高まる.その過程の描写がとんでもなく上手い.終始主人公視点の文章で展開されるのでその過程に物凄く没入するのだけど,まるで自分自身がチャーリィになったような感覚で読み進めていく.読了直後なのでチャーリィの文章レベルに引っ張られ,うまく表現できないのがもどかしい.
チャーリィは知能が低いけれども幸せ(少なくとも本人はそう思っている)で,知能を向上させればもっと周りの人々が喜ぶと思って手術を受けるのだが,いざ実際に知能が向上すると今まで分からなかったことが分かるようになり,それゆえの苦悩が訪れるのが苦しい.今まで気づかなかっただけでバカにされていたことに気づくとか,偉そうにしている教授の本質が分かってしまうとか.
このことは作中通して語られるテーマで,作中でも
"知能は人間に与えられた最高の資質の一つですよ.しかし知識を求める心が,愛情を求める心を排除してしまうことがあまりにも多いんです..."
アルジャーノンに花束を(新版)|ダニエル・キイス著,小尾美佐訳
と語られている.
チャーリィに手術を施した教授陣は傲慢で知能の低い人々を憐れんでいるけれども,単に知能が高いことが良いこととは言えないのではないか,と問いかけられる.
健常者は障碍者より幸せなのか?障碍者は不幸なのか?知能が多少高いというだけで障碍者をバカにする健常者は,障碍者より上の存在なのか?そんなことはないのでは?
意図的にスペルミスや脱字がある文章なので原文を読むのがベストだろうけど,日本語訳でも充分すぎるほど没入感のある読書体験だった.
手術前
Dr Strauss said I had something that was very good. He said I had a good motor-vation. I never even knowed I had that. I felt good when he said not everbody with an eye-Q of 68 had that thing like I had it
"ストラウスはかせはぼくがともていいものをもているといった。いいもーたーべーしょんをもっているといった。そんなものをもっているとわ知らなかった。あ いQが68の人間がみんなぼくがもっているようなものをもっているとわかぎらないといわれたときわいい気分だった。"
手術直後
"I said that all my friends are smart people and their good. They like me and they never did anything that wasnt nice. Then she got something in her eye and she had to run out to the ladys room. "
"ぼくの友だちはみんな頭がいいしみんないい人ですよとぼくはいった。みんなぼくのことが好きでいじわるなんかしたことないですよ。するとキニ アン先生の目の中になにかたまってきて洗面所へ走っていかなければならなかった。"
IQが最も高いとき
They don’t like to admit that they don’t know. It’s paradoxical that an ordinary man like Nemur presumes to devote himself to making other people geniuses.
"彼らはわからないということを認めたがらない。ニーマーのような凡庸な人間がおこがましくも人間を天才に仕立てることに熱中すると言うのは逆接めいている。"