ここのところ、どうして自分は女性専用の夜行バスやホテルの女性専用フロアを選びたがるのか、どうして同年代の男性が苦手なのか、心の中で過去を紐解いていた。
紐解く前から原因として分かっていたのは、高校に入学して2日目の出来事だった。入学式の翌日から泊まりがけのオリエンテーション行事があり、行きのバスの中で同じクラスの男子に自分のことをデブだとかブスと言われているのを私はしっかり聞いてしまった。
それはずっと記憶の上の方にあって、今まで忘れることはなかった。
でも、それだけでこんなに避けるのは決定打に欠ける。女子の友達からいじめを受け、中学の部活で部長を挫折したときの部員は全員女子だったし、働いていたときに直接嫌がらせをされたのも女性だった。
暗闇の記憶の糸をたぐると、中学1年のクラスメイトに怒鳴られていたことを思い出した。声の大きな男子だった。席替えで一番前の席に座っていた私は、目に入らない場所から聞こえてくる怒鳴り声が怖かった。
その人にしてみれば、怒鳴っているつもりはなかったのかもしれない。思春期のイライラや溜まったフラストレーションを発散させたかった特に意味のない行動だったと思う。
それでも、私がダメージを受けるのには十分だった。
私には当時好きな人がいて、その人と想いが通じ合っていて、偶然席替えで隣の席になった。それで、罵声を浴びるようになった。
クラスメイトたちは皆、思春期のいらだちを抱えていて、担任の先生にひどい対応をしている人もいた。そういう流れもあった。
ああ、怖かった。
張り上げた大きな声の冷やかし。何というセリフを言われたかは、私の記憶からはもう引きずり出せないし、したくない。たいして意味のある言葉はなかった。
高校時代は、クラスメイトの男子の顔は見ることができず覚えられなかった。授業で課題の返却を先生に頼まれると困った。教卓に貼ってある座席表が頼りだった。
今でも人の顔と名前を覚えるのは、あまり得意ではない。今は男女問わず。
中学時代に怒鳴られていた記憶はずっと抱えていたけれど、それが自分にとってこんなに大きな傷だったとは今まで気づいていなかった。
確かに、いつの頃からか怒鳴られるのがとても怖くなった。
どうして誰かを好きなだけでこんな目に合わなくちゃいけないんだろう、と思っていた。想いのその向こう側のことまでは、私は考えていなかった。私は子どもだった。
「同じ年代の男性」だとか「男性」と一括りにしてはいけないと今なら分かる。いろんな人がいる。「女性」にも、いろんな人がいる。
それでも、「女性専用」は私に安心をくれる。
女性専用車両ではない電車の車両でも、座席で女性と女性の間が空いていたらそこに座るし、なるべく女性の隣に座るようにしている。
吊り革を掴むときも、前の座席に女性が座っている場所を無意識に選んでしまう。