AroAce読み二次創作のこと

ヤ巳
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公開:2026/6/18

(※このエントリはAroAce二次創作小説再録同人誌『Even Without Romance』の巻末に記したあとがきの改稿版です)

二十年以上、男性同性カップリング界で二次創作をしてきた。自分がアロエースだと気づいてからも十年近くになる。昔はエーゴセクシャルだったことも関係しているのだが、私の読んできた創作物は、フィクションのホモソーシャル関係やそれを恋愛や性愛に置き換える手法は教えてくれても、アロエースという性的指向を創作として昇華する方法は教えてくれなかった。

最近では Aスペクトラムを描く商業作品も増えてきたが、正直なところあまりしっくり来ていなかった。「共感」はあっても「萌え」を感じなかったので、オタクとしての自分が夢中になれなかったのだ。ひとは必ずしも自分の属性やセクシャリティと同じ創作物を好きになるわけではない。

マーサ・ウェルズのSF小説『マーダーボット・ダイアリー』の主人公「弊機」にはAスペクトラムとノンバイナリー、Autismを読み取り、自分を重ねて愛着を抱いていた。だが原作を読むのに満足で、二次創作に至る強いパッションは持たずに来た。それでもキャラクターをアロエース読みする力は少しずつ付いていたのかもしれない。

長く続けている FGOでバーソロミュー・ロバーツという「推し」に出会い、史実やゲームのシナリオから彼をアロエース読みできると気づいたこと。そして、折しもAroAce二次創作WEBオンリー「存在証明」の第一回が開催され、他ジャンルの仲間たちとAspec読みの作品をシェアできたことが大きな転機になった。

もちろん、長いシッパー人生、楽しい思い出はたくさんある。同性間の巨大感情の世界は今でも好きで、またハマったりficを書いたりする可能性もある。

だが、シリーズの一作目Even Without the Romance を「自分達の"存在証明"として書くこと」と、これまでのシッパー人生で心掛けてきた「推しを格好良く書くこと」を両立して書き上げた時、心からの充実を覚えた。これが私にとってのエンパワメントだ、と。

若い頃は自分のセクシャリティに悩み、恋愛至上主義的な社会の障壁にぶつかり、辛い思いもした。だが今それらから解放され、アロエースとしての人生に何ら問題を感じていない立場で、アロエース読みした推しの人生の「賛歌」を書くことができた。これほど嬉しいことはそうそうないだろう。

イベント参加からの3ヶ月で短編読み切り13作品を書いて、再録同人誌も出した。余談だが、売上の大半はAスペクトラムの支援を主にやっているNPOへの寄付に回す。中高年アロエースも対象になる支援を地方でもして欲しいからという下心がある。

当シリーズのバーソロミューは自分のセクシャリティに悩まない。セクシャリティへの言及の(ほぼ)ない作品すらある。私達は「恋愛や性愛を拒絶するために」存在している訳ではなく、固有の性格や生活、楽しみを持った個人であるからだ。

もちろんセクシャリティの悩みに寄り添った作品もこの世の中には必要なのだろうが、それは他の方に任せるとして、私は「豊かな人生を楽しんでいるメロいアロエースのキャラ」を書くことを楽しんでいこうと思っている。