他愛のない話ができない|5月14日

ゆか
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最近考えているのは「善く生きるとは」。私は悪い人間なんじゃないかとよく思うからだ。人を嫌うし嫉妬から勝手な行動をしている。そもそも善く生きる必要があるのか、というのは論点としてあるが、少なくとも周りの人にあなたがいてくれてよかったと思われたいのかもしれない。・・・いや、本当?なぜ?周りの人って誰だ。私は周りの人の承認で生きられていると思うときがある。これは人間だからなのか、私の性質なのか、相手に求められたり、言葉をかけてもらえたりしないと、元気になれない、自分の存在を肯定できないときがある。脆い。弱い。それも別に悪いことじゃない。だって、誰も傷つけてないもの。傷つけるってなんでしょうね。

たぶん、私は人と定常的に話せない人間である。これを思ったのは、職場での居心地の悪さ。人と話すという場がセットされていて、人数が少ないと、めっちゃ喋る。めっちゃじゃないかもしれないけど、喋りたくてしょうがない。しかし、例えば大人数でランチとか、日常的に職場の自席で、とかとなると、黙。話す理由がないから。話さない。いつも話している人はどのような感覚なのだろうか。時々いいな、と思うが、うーん。エレベーターの中も本当に苦手。目をつぶって呼吸をとめて感覚をシャットダウンする。

こういう、日常的な癖みたいなのって、小さい頃から身につけられる親の影響をたぶんに受けているのではないか。私は今まで親の影響はそのような性質には反映されていないと思っていたが、おそらくそうではないようで。例えば、プレゼント。私の母はプレゼントされるのがあまり好きではない。子どものときにエプロンを母の日にあげたら、「プレゼントあげればいいと思ってるんでしょ?」と言われた記憶がある。おとなになってからも、妹と私がLINEで母へのプレゼントの相談をしていたら、母にばれてしまって、「自分たちにお金を使いなさい」と言われた。後者は私たちへの愛だから、全体的にそうも思えるが、プレゼントに限らず「与えられる」ことが苦手なんだと思う。送迎してもらうのを断ったり。それでも私はプレゼントはできるようになったが、おみやげがどうも苦手で、おみやげやさんは好きだから、一応ぐるぐるまわるもののあきらめる。おみやげって冷たいことをいうと東京でも変えるし、プレゼントみたいにその人に最適化されているより、その旅行先に最適化されているから、相手のことを思って買おうと思うほどに、買えなくなる。わかりませんよね、私もあのおみやげを選ぼうとしているときの思考はあまりわかっていません。もう一つ親の影響を受けやすいのは、家族観。わかりやすくいうと、親戚一同で仲良いか、そうでないか。これはまた次回書くとします。

私はBluetoothイヤホン運がない。3ヶ月に一回買っている。時々落とすけど今回のは一回も落としたことがなかった。いや、一回はあるかもしれないけど、さすがにそれで3ヶ月で壊れないでほしい。買うのは300coinsの1500円のと決めている。壊れてもショックを受けないから。1500円だからすぐ壊れるのか、私が運がないだけなのか。