クラックプレッツェルが消えたにもかかわらず、しれっとしている無印良品

夏木紬衣
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無印良品に行くとつい買ってしまう、お気に入りのスナック菓子がある。取り扱いのない店舗もあり、見かけたらラッキーの気持ちで手にするクラックプレッツェルが、いつの間にか存在ごと消えてしまった。

無印良品のプレッツェルは、いわゆるスナック菓子のようなアメリカ式のものだ。チェダーチーズ、サワーオニオン、チョコレートの3種類がある。(しかしチョコレートは一度もみたことがない)

軽い気持ちでパケ買いした無印良品のクラックプレッツェルをきっかけに、アメリカ式プレッツェルのおいしさを知った。ほかのメーカーのプレッツェルも気になり、数種類買い集めたこともある。

結果的に、無印良心のものが一番おいしくてこればかりをリピートしていた。わたしのなかで無印良品のクラックプレッツェルに替わるものはなかったのだ。

リピートしている無印良品のものはクラックプレッツェルだけではない。しかし、近頃は100円ショップでそっくりな商品を扱うようになり、まったく同じとまではいかないものの、妥協を許せば代替可能だ。

大好きだったクラックプレッツェルは、あったらラッキーどころか存在自体なくなってしまった。替えがないというとおおげさに聞こえるかもしれないが、無印良品のクラックプレッツェルをきっかけに、本場ドイツのプレッツェルも気になるようになり、ドイツパン専門店に訪れたことがある。興味関心の幅を広げてくれたのだ。

サービスやものがあふれる世の中には、とってかわる代替可能なものがたくさんある。一方で思い出や記憶を理由に、その人にとっては代替不可能なものだってあるはずだ。なかでも人は組織という見方でない限り、誰にもとってかわることはできない。

新卒時代、同じ職場の同期が突然姿を消した。いつもにこやかでつらい表情をみせたことがない人だった。配属先はミスを晒しあげる陰湿な慣習があり、生きていて耳にしたことがないほどの怒号をあびせる上司や質問しても教えてくれない先輩など、健全な心ではいられないような場所だった。

それでも必死に毎日をすごした。わたしを含めて5人いる同期のうち、3人は数カ月後に別地域へ異動するのが決まっていて、地獄からの解放が待っている。しかし、わたしはその職場の残留組だ。顔をみることができなくなった同期も残留が決定している側だった。

もう会えないのを知ったのは、朝の全体ミーティングでのことだ。

「体調を崩してしばらくこれないとのことです」

たったひと言で状況説明が終わった。まだ配属されてから3カ月にも満たない期間。会社にとっては戦力の一人としてカウントされていないため、切り捨てるのは簡単だ。しかし、わたしにとっては唯一身近で心の支えとなる人であり、替えられない存在だった。社外で会うほど仲がいいというわけではないけれど、その人がいてくれたらかこそ踏んばることができていた。

つらい環境でも笑顔のたえなかった同期の子は、わたしにとってとっておきであり代替不可能な存在だ。心が通う人や動物はもちろん、わたしにとっての無印良品のクラックプレッツェルのように、愛着のあるものは替えられない。

突然いなくなってしまうと、ぽっかり空いた虚無感や悲しみから、奪われた・裏切られたようなネガティブな感情が生まれかねない。替えがきかないとしても、心のよりどころはいくつかもっておくのが生存術だ。

変らないものはないと受けいれる。替えを探すよりも、違う選択肢を選ぶことも大切。だからあのとき、同じように苦しむ新卒の人とSNSでつながったりほかの同期と愚痴を言いあうよりも、退社というカードをきった。

今回も素直に替えがないことを受け入れつつ、新たにハマるお菓子を発掘するという選択をしたい。リニューアルのプレスリリースが出ているのではないかと、まだネットをさまよっているのはここだけの話だ。

@ym_kn
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