相も変わらずあっという間に過ぎ去ったゴールデンウィーク。ふり返ると、例年よりも外出が多く、アクティブにすごした休日だった。
いつもならその日のできごとについて書いていくが、今日から数回はゴールデンウィーク中のできごとについて話したいと思う。
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動物園は前々から計画していたゴールデンウィークのイベント。行先は記憶がないくらい幼いころ、両親に連れていてもらった多摩動物公園だ。
旅行に限らず、外出をするときは必ず行く場所について念入りに調べるのが性。しかし今回はどうしてもみたい動物をリストアップして、ざっくりとルートを考えるだけにしておいた。せっかくのゴールデンウィーク、行動に”あそび”をくわえて、いつもとは違う発見があればなと思ったのだ。
当日の天気はくもり予報だったが、現地はあいにくの雨。小雨だったのが不幸中の幸いだった。
開園前に並び、一目散にライオンバスステーションに向かう。無事にチケットを購入し、ライオンバスに乗車。バスがライオンの放飼場を走る、サファリ形式で運行される。
バスにゆられながら、数頭で群れをなすライオンに近づいていく。目前まで迫ると、バスの窓枠につるされたエサにかぶりついてきた。野性的で大迫力なライオンの姿を至近距離でみることができ、童心にかえったように興奮した。
雄ライオンは優雅にくつろぎ、威厳を感じる面構え。雌ライオンは骨をかじったり水場で遊んだり自由にすごしていた。生活空間に入りこんできたバスや人間に対する警戒心はなく、みられることに慣れた様子だった。
ライオンバスから降り外にでると、ラッキーなことに雨はやんでいた。
次に目指すのはコアラ園だ。東京ドーム約11個分の広さである多摩動物公園は、丘陵地により園内でも標高差がある。コアラ園のある場所は坂道をしばらくのぼった先だ。ライオンを間近で観察できる、動物園らしい体験ができたことでエンジンがかかり、坂道なんてへっちゃらだった。
コアラ園には夜行性の動物もいるので、入口から照明が落とされて暗い屋内だ。照明の明るさに導かれるように奥に進むと、コアラのエリアに入る。一番みたかった動物をようやく生でみれると足どりが軽くなった。
暗いエリアから明るいエリアに入ると、よちよち歩きのように木をつたってこちらにやってくるコアラが目に飛びこんできた。「かわいい!」と声がでてしまい、思いもよらないボリュームの大きさに自分でびっくりする。
愛らしいコアラの姿にみんながくぎ付けになり、窓ガラスの前にはカメラを構える人だかりができている。後ろにさがって眺めていると、愛嬌をふりまくコアラの横に目がとまった。
一向にこちらをふり返らず、背中をむけたコアラがいた。ほかのコアラは木にぶらさがったり、だらんと眠りこけていたりしていたが、この個体だけ毅然とした姿を貫いている。
しばらく立ち止まって眺めていても微動だにせず、どっしりと構えた姿のままだった。「絶対に顔をみせてやらないからな」「そっちをむいてたまるか」という意思すら感じる。ふわふわと丸みを帯びた姿形とは裏腹に、ライオンに匹敵する威厳を感じた。
顔を拝むのはあきらめて前に進む。コアラエリアは上からみると円のような形になっていて、円周に沿うように進んでいく。最後、ふとあのコアラが気になり目線をむけると、衝撃がはしった。
相変わらずだった。コアラ園にやってきた来園客へのサービスはなく、ただひたすら背中をみせ続けていた。しかし、最後の最後まで気にかけた人だけ顔をみることができるらしい。写真を拡大してみると、こちらをみつめている気がする。
"深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ"とはこのことか。あちら側からすると、人間が観賞物なのかもしれない。
これをきっかけに、コアラの後ろ姿が頭から離れなくなった。家にかえって写真を整理していると、無意識のうちに動物の後ろ姿を撮っていたことに気づく。
こちらに顔をむけて、あいくるしい表情をみせてくれるのもとんでもなくかわいいが、人間に一切興味を示さない、ミリも愛想をみせない姿にかえって惹かれた。魅了されると同時にうらやましいとも思った。
人間には社会の一員としてのふるまいが求められる。学校や会社など、どこかのコミュニティに属している限り避けられない。内心に反するふるまいをしなくてはいけないときだってある。
動物たちのいろんな姿、なかでも頑なに背中しかみせてくれない姿をみていると、自分はもう少し素直になっていいのかもしれないと思えてきた。大きくみせがち、できる風に装いがちなわたしには、後光がさしてみえたのだ。
訓練によって完成する動物のショーでは得られない、奥ゆかしさや個性を感じとれる。小さな背中で生き様をみせてくれた。背筋をのばしどっしり座りこんだコアラの背中をみれただけで、多摩動物公園にきたかいがあった。
またいつか、あのコアラに会いにいきたい。