モーニングルーティン動画のコメントに垣間見るくらしのペース

夏木紬衣
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朝活のヒントがほしくて、とあるモーニングルーティンの動画を再生した。流れ作業のようにコメント欄を開くと、一番上に「こんなにゆっくりコンタクトケース開けたことないわ」という言葉が。共感を生んだのか何百ものグッド(いいね)がついている。

YouTubeの動画をみるときは、必ずコメントやチャットをのぞく。さわやかな朝の雰囲気が画面越しに伝わるサムネに惹かれてタップしたモーニングルーティン動画。見始めて数秒でこのコメントが目に飛び込んできた。

「こんなにゆっくりコンタクトケース開けたことないわ」という一文は、さまざまな捉え方ができる。もしかしたらこの言葉には、動画主を少し嘲るようなニュアンスを含んでいるかもしれない。しかし第三者のわたしからすると、ぱっと見では悪意を感じず、むしろクスッと笑ってしまうほどだった。

くらしのペースの違いに対する驚きを「この写真をみてひと言」のような大喜利感覚でコメントしたように感じたからだ。動画が進んでいけば、せっかち気味なわたしも同じように思うのかもしれないと、素直なコメントに自分を重ねたのもある。(動画を見はじめてすぐ倍速に設定変更したのがせっかちな証拠だ。)

コメントに笑ってしまったと同時に、文字通り「コンタクトケースをゆっくり開ける様子」が頭に浮かんでくる。この間にも動画は着々と進み、思ったよりも早く該当シーンが流れた。コメント主と同じくらいのせっかち度合いだと勝手に思っていたが、動画内のコンタクトケースを開けるスピードはごくごく普通。特別遅いと感じるスピードではない。「手つきがやさしすぎない!?」と思わずツッコミたくなるくらいの丁寧さでコンタクトケースを開く妄想が打ち砕かれた。

コメントには続きがある。数件の返信が続きツリーをなしていた。たしなめるコメントや悪意だけを抽出して援護射撃をするようなコメント、こんな意見もあるんだと驚きを隠せないコメントなどが連なっている。それぞれのくらしのペースによって見方が違い、感想ががらっと変わるのを見て取れた。

くらしのペースを変えるのは簡単なことではない。ゆったりとすごすには時間の余裕が絡む。少ない睡眠時間、体に鞭を打って起床し、バタバタと身支度をして家を出る。あっという間に時間がすぎるような毎日をおくる人にとって、早朝に気持ちよく目覚めてコーヒー豆を挽きハンドドリップする時間はないし、そもそも不可能だ。

それなら、せめてモーニングルーティンの動画を見ている間だけは同じような時間の流れを感じたいと思った。わたしのくらしには時間の余裕がないわけではないが、せっかちな性格と情報収集目的が影響してつい倍速でみてしまう。

早速、再生速度を標準に戻し、あらためて最初から見始める。約15分の動画を速めず最後まで見終えた。ゲーム実況動画以外で倍速にしなかったのは初めてかもしれない。

動画本来の速度でみたことで、自然と見方が変わった。くらしのちょっとしたアイデアを吸収したいという目的達成のためではなく、自分とは違った時間の流れを追体験してリラックスするという見方になったのだ。ゆったりとしたくらしのペースに身をまかせたような感覚になり、なんとなく物事を受け入れる幅が広がる気がする。いつものわたしならスキップしていそうな瞑想シーンが今回はいいなと思えた。

モーニングルーティンに限らず、休日のすごし方やvlogなど、誰かのくらしを知れる動画が好きだ。今までならほしい情報を切り取るように足早にみていたが、たまにはその人のくらしのペースにあわせて、ゆったりみるのもいいかもしれない。

@ym_kn
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