一般には数学といえば(問題を)「解く」ものなのだろうと想像する一方で、数学者や数学の学生は「する」という動詞を使うことが多いように思います。「数学をする」の中に「数学の問題を解く」も含まれるのですが、それだけではないということです。
究極の望みは「問題が解けるようになりたい」というより「数学の世界が見えている人になりたい」ということなのです。その望みを叶える手段として、本に書かれている問題に取り組むこともあるけれど、そもそも数学書(や論文)には論理のギャップがあるものなので、それを埋めようと悪戦苦闘したり、あるいは話に全然ついていけていない感覚を解消しようと文章を書き写してみたりもします。めでたく理論が一通りわかった気がしたら、自分流にストーリーの再構成を試みたり、人に説明してみたりするかもしれません。さらには、自分が「これを本当に理解したい」と思った対象を思いつく限りの手段で調べてみたり、新しい問題(研究課題)を思いついて書き留めたり、研究の展開について妄想を膨らませてみたりします。そういうことの総体を言い表そうとすると、まあ数学を「する」としか言いようがないのかな、と思います。