小学校卒業まで地元でピアノを習っていた。
姉弟揃って同じ先生(地元でなかなか著名だったピアノ教師の方)に師事しており、姉たちの教室通いについて行く中で自然とやりたくなったのだろう。
低学年に習い始めた頃は、スイスイとバイエルやらブルグミューラーやらとステップアップして親も鼻が高かった様子だが、高学年に少年野球が生活のメインになり始めると流石に熱が薄れた。ご高齢だった先生が亡くなり、移った別の教室の先生も産休に入られ、始めたときとは逆さまながら、やはり自然の成り行きで習い事としては辞めることになった。
初めの先生のもとで最後に弾いていた曲集はシューマンの「子供の情景」で、子供心にこれは気に入っていたものの、随所に難解さの片鱗が見える一冊だった。おなじみ全音の教本を使用していたが、今更見てみると「中級第4課程(上級第5課程と併用)」という位置づけらしいので、なるほどそこそこである。
第7曲「夢(トロイメライ)」が有名だ。
(Martha ArgerichのCDを親が買っており、弾かなくなったあともそれなりに聴いた記憶がある)
結局この曲集は、小学生の手のサイズで程よく弾ききれる前半の数曲を習うまでに留まった。
とはいえ中学高校でも完全にピアノを弾かなくなったわけではなく、高校卒業までに文化祭合唱コンクールの伴奏者として、なんだかんだ三、四曲くらい新曲を演奏したのは我ながら責任感があったと思う。鍵盤の感触を失いつつある中で全くの独習だったし、動画サイトなどもない時代だ。
そんなわけで最後にちゃんとピアノを練習したのは17~18歳頃、習っていたのは12歳頃までという自分だが、近ごろ思い立って再開してみることにした。
上京してからも折に触れてなにか楽器をやろうかと思うことはあったが、結局踏み出さずに来たのに不思議な気の迷いである。
普段過ごしている自室L字デスクの左脇サブデスクにちょうど収まるサイズの61鍵電子ピアノを島村楽器オンラインサイトで見繕い、稲刈り帰省時に実家から古い楽譜を持ち帰って練習が始まった。
上記の通り驚きと発見で日々楽しんでいる。
初めはもちろん忘れている
忘れているのだが、練習を進めていくとちゃんと思い出していく
それも思い出すというのが理屈ではなく、マッスルメモリー
「昔こう弾いていた」「こういう手・指・腕の感覚を得ていた」というのがちゃんと脳のどこかには残っていて、体のサイズが変わった今でもそれが相当程度に通用する!
今になって初めて弾く曲も、ある程度繰り返し「聴いた」ことがあれば、それをガイドとしてちゃんと独習できる
しばらく試行錯誤する→寝る→翌日以降にまた弾く→驚くことにちゃんと前進する
子供の頃は最終的に飽きてしまっていた分野でも、「物事の進め方」を多少わかってから改めて触れてみるとこのように新鮮な楽しみを覚えられるのは一つの感動だった。
この3ヶ月で、卒業時に既修だった曲を一通り思い出し、かつ未修だった、
No.5 みたされた幸福
No.8 暖爐のそばで
No.10 きまじめ
を暗譜しつつ通して弾けるまでになった。(13曲中10曲)
ちなみに「一部どうやら習ってない曲番があって、それがあほほどムズい」と書いていたのは主にNo.5とNo.8。特にNo.8は両手親指の容赦ない交差があって、一見意味不明。解説にはサラッと「シューマン好みの」とか書かれていて憤慨した。
チェンバロ(二段鍵盤)で作曲・演奏されていたのかと疑いたくなるが、作曲時期的にはすでにピアノがそこそこ普及してそうで、謎。やはり好みか……?
結局演奏動画をいくつか参考にして、弾きやすいように自分で運指分配した。
ひとまず子供の情景13曲をちゃんと通して弾けるまでは続けられそうなくらいには今、意欲があり、新たな趣味に心躍る日々なのだった。昔取った杵柄も悪くない。