私とラジオと世界の話

yn0k13
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私が小学生の時、将来の夢として初めて本気で志したのが「ラジオで喋る人」だった。

大きなヘッドフォンをつけて、リスナーからのおたよりを机に広げながら、放送スタジオでひとりマイクに向かうその人は、私にとってリスナー一人一人に語りかける存在だった。

初めてラジオに曲のリクエストを出したのは中学生のときだった。文化放送の21時くらいの生放送ランキング番組で、番組開始と共にリクエストの電話を受け付けるという今では考えられない形式だった。

混雑する回線を勝ち抜いて初めて電話がつながった時、相手はただ受付の、たぶんアルバイトのスタッフさんだった。でも心臓が飛び出るほど緊張してた。リクエストする曲名と、ラジオネームを名乗った。

短い電話が終わって、ラジオに耳をつける。「今週のリクエストランキング、第何位は…」という決まり文句のあと、その曲名が読み上げられるのを手に汗握りながら待った。何位だっただろう、遂にその曲がランクインして、パーソナリティさんが慣れた早口で言う、「リクエストはラジオネーム、◯◯さん、◯◯さん、◯◯さん…ほか沢山の方からいただきました!それでは聴いてください、今週の◯位、☓☓で、◯◯!」そこで自分の考えたラジオネームが呼ばれた時、膝から崩れ落ちるほど嬉しかった。

大人の世界に、自分というリスナーの存在が受け止められた瞬間だった。

インターネットの当たり前じゃなかった時代に、私にとってラジオは世界と繋がる手段だった。

朝には自分とおんなじように今日の天気に憂う声、夕方には学生を励ましてくれるバンドマンの声、夜には馬鹿らしいがセンスの光る大喜利の番組で笑って、時々その神リスナーが学生と知ってドキドキしたりした。ラジオを聞いていれば、自分の部屋から世界につながることができる。同じ音楽を聴いている人がいまこの世界に何人もいる、同じ時間を共有することができた。

一言一句、聴いていなくても、ラジオが点いていればよかった。

2011年の春、計画停電でテレビがつけられない日にも、乾電池でラジオをつけた。ストーブも消えてしまって寒かったけど、家族みんなで毛布にくるまってラジオから流れてくる声に耳を傾けた。あの時に聞いた曲を、みんながラジオを通じて励ましあった時間を、忘れることが出来ない。ラジオはテレビよりも復旧が早く、受け手も手回しラジオなど小さな電力で効くことが出来るので災害時の情報伝達手段として見直す動きが高まった。

そんなこともあり、大学生になっても私の夢はラジオ関係の仕事だった。メディア研究のゼミで、卒論はラジオをテーマにして書いた。ラジオ局をいくつも受けた。全部落ちた。アルバイトも応募してみたけど落ちた。所詮は夢だったんだ、あんなに憧れてたのに具体的に考えてこなかった私が至らなかったんだ、ごめんね小学生の時の私。と思ってた時に拾ってくれたのがいまの会社で、まあ実はコミュニティFMを持っているのだけど。捨てる神あれば拾う神もあるものです。

かくして私は人生の半分以上で、ラジオをそばに置いている。

だから咖山さんが「学生の時分によく聴いていた番組があった」と書いていたのを読んで、好きな人が自分の領域に転がり込んできてしまった衝撃で3度くらい熱が上がった。

実家だろうか、一人暮らしになってからの話だろうか。朝だろうか、深夜だろうか。読書や勉強をしながらだろうか。もしかしたら古書店でアルバイトをしている最中うしろで小さくラジオが流れていてもおかしくないかもしれない。

なんにも分かっていることはないし、全部私の私見でしかないけれど、でもラジオはリアルタイムで世界とつながるメディアだってことは間違いなくて……だって、本の中にある「世界」は、たしかに果てしなく広くて夢があっても「今」ではないから。囲碁部で、古文漢文が得意で、本の虫で、自分のペンネームに「ひとり」なんて付けてみた咖山喱人くんにはずっと閉じた世界しか無かったから。ああここにラジオという存在があるだけで私にとっては何もかもが違う、というくらい嬉しい。

咖山さんが夜に文化放送を聞いていれば、声優さんの名前にはちょっと詳しかったかもしれないなぁ。ね、雷電くん。