渋沢栄一の「論語と算盤」で、孔子の食事を例に出して「道徳や倫理」について説明している次のような文章がある。
"「飯はできるだけ精白したもの、膾はなるべく細かく刻んだものを食べた。飯がすえて味が変わっていたり、魚や肉がいたんでいたり腐っていたりしていると、口にしなかった。色の変わったもの、悪臭を放つものも食べなかった。また、生煮えのもの、季節はずれのもの、切り方のまずいもの、ソースが料理に合っていないものも、口にしなかった」 これらはごく身近な例だが、道徳や倫理はこれら身近ななかにあるのだろうと思う。" (渋沢栄一. 現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書) (p.34). 筑摩書房. Kindle 版. )
要するに、孔子は美味しいもの・安全なものだけを食べるように心がけていたという話だが、それと道徳や倫理に何の関係があるのだろうか?最初はよく意味が分からなかった。しかし最近ふと気づいたのだが、これはもしかすると自分の体調や気分を良好に保つことが大事だという話なのかもしれない。
体調が悪いときや気分が悪いときは、どうしても普段よりは人にキツくあたってしまうことがあるものだと思う。道徳的・倫理的な見方からすると、言うべきでないことを言ってしまうこともあるかもしれない。これは人間の性質としては仕方のないことかもしれない。すると、良心的で思いやりのある道徳的姿勢を保つためには自分自身が健康で上機嫌であることが必須だということになる。なので、体調と気分の管理が重要になる。そのためには普段の食事に気を遣うことが大事だということなのかもしれない。これは確かにそうだと納得させられる。
とはいえ「季節外れのもの」や「切り方がまずいもの」さえも口にしないというのは孔子の食事に対する拘りはちょっと強すぎるのではなかろうか?それは傷んでいるものを食べないとか栄養を意識したりするのとは別の種類の問題だ。もちろん、何によって気分を良くしたり悪くしたりするかは人それぞれではあるけれど。
自分の食事に気を遣うのは結構だが、自分の口に合わないものは一切食べないという主義を貫くことは必ずしも道徳的な振る舞いとは言えないんじゃないかな。例えば、現代の家庭で同じことをしたら夫婦関係はとんでもないことになりそうだが...。まあその辺は孔子も上手いことやっていそうではある。