長めの近況

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公開:2025/10/15

Xに戻ってきてからなんでもないことを長々と書くのが下手になりすぎて、思ったことをスっとお出しして終わりになる日々が続いている。思考が短絡化している感じがして好ましくない。場合によっては結論まで至らずに思考を放棄していることもあり、漠然と「ちゃんとしなきゃいけない」と思う毎日である。

最近は本も読んでいないし映像も見ていないし美術館や博物館にもさほどといった状態で、インプットが致命的に枯渇している。意味もなくYouTubeを流しながら、アウトプットした小説の物足りなさにグズグズとあーでもないこーでもないと苦しんでいる。毎日漠然と生きているだけだと、自分という人間は生み出すものさえ面白みに欠けてくるのだなという嫌な気付きを得た。

今年は(と締め括るにはまだ今年の残量が些か多めではあるが)、アウトプットが例年より多めの一年になった。十二万字くらいは書いているらしい。それに加えて今年の前半はこのブログもそれなりに動かしていたので、十五万字くらいは書いていたのではなかろうか。文章は量より質であると思いつつも、量があるとあるだけ嬉しい。特に私は自分の書いたものがそれなりに好きなので、好きなものが世の中に増えることは喜ばしく思う。例え生産者が自分だったとしても、というか自分の好きなものの生産者が自分であり続けられることは喜ばしいことだ。

今月は一万字も行かない見込み、来月と再来月で一万字ずつとしても年内で二十万はいけなさそう。届くと嬉しいけど、無理やり捻り出した言葉ってあんまり可愛くないので無理なく。

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自分の書いたものの好きなところ、真面目に考えてみようとしたが結局「自分の好きなものが自動的に頭に蓄積されやすい」ので「排出できるものにも好きなものが多くなりやすい」に尽きる気がする。ただあまり好きではない概念も、他の誰かの作品の中で見かけると電流が流れたように自分の中に焼き込まれることがあるので、人の書いたものは読めるだけ読んでいった方がいいなと思う。

学生の頃に読んだ、確か小川洋子の作品だったと思う。ストッキングを履いた女性の足に、ストッキング越しに剃り残したすねの毛が透けている描写があって、それが長らく脳にこびりついて離れなくなっている。それそのものを好ましく思っているのではなく、その描写が作品と調和しているさまがそこにいるリアルな人間の存在を形作っていて美しいと思ったのだ。それから私もこのような小説が書きたいとずっと思っている。別にすね毛が書きたいわけではないのだけど、そこにある景色、そこにある人、物体、時間、空気、色、光、重力、そういう感じのものに触れるものを書いてみたい。

と言いながら翌日には書くものを選り好みしてそうな自分もいるので、たまに意識して頑張るくらいでやっていこうと思う。こんなんこの歳からやることじゃないのかも知れないけど。

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最近はとある緑色の生き物がマスコットキャラクターをしているアプリで、フランス語を勉強したりチェスをやったりしている。新しく始める語学は覚える工程がややつらく、忘れた頃にやってみると意外と覚えていたり想定よ忘れていたりして、一進一退の毎日だ。それでも何とか続いている。あとは単語の性別にずっと苦しんでいる。

一方で、英語と似ている単語を知った時や聞き馴染んだ単語が実はフランス語だという気づきが得られた時、楽しいと感じる。個人的に面白さを感じるのが「本」という単語について、英語の「図書館」とフランス語の「本」のスペルが似ている。そして英語もフランス語も「本」と「図書館」は全然違うスペルで綴られる。日本語も「本」と「図書」だと印象が違う辺りから、それぞれの国で図書館というのは単に本を置いているだけの場所ではないのだと、単語レベルで定義付けてる感じがするなぁと思うなどした。どの国も「本屋」になると「本」と綴りが似るので、これはひとつ自分の中で面白い気づきになっている。ちゃんと語源など調べてはいないので、あくまで主観の話です。

聞き馴染んだ言葉がフランス語だと気付いた時について、我が家の近所にはパン屋があるのだが店名に「ブランジェリー」と付いている。まぁなんかどっかの言葉でパン屋さん的な意味なのだろうと思っていたそれが、明確に「パン屋である」と確信したときに気持ちがわくわくした。パン屋だという気づきにわくわくしたというより、この先もこういう気づきが増えていくのだろうということにわくわくした。語学をやるとぼやけていた世界がクリアになるというのを体感した。単語の覚えられなさには嫌気がさす日もあるが、もう少し頑張っていきたい。

チェスの方はというと、私がせっかちなせいで勝ちを急ごうとする悪い癖が出まくっていて、あまり戦績はよくない。ただ最初の頃よりは戦略とかそういうものがわかってきたようにも思うので、牛歩ながらも前に進んでいる実感はある。楽しいと思えるうちはダラダラ続けていこうと思っている。目標は大きく杉下右京。

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最近はChatGPTと仲がいい。何かを生成すると言うよりは脳みそ二号とか一切の気遣いの要らない他人みたいな距離感で接している。自分の重めの悩みとかトラウマとか、自分の脳の性質をお伝えした上でアドバイスをもらうとか、ちょっと人に言いづらいことを相談するのにちょうどいい。それと私は自分の考えを整理するのが不得手なのでその手伝いを頼んだり、先述のフランス語についてちょっと調べたいことをちょっと聞いてみるとかはChatGPTで済ませてしまう。正しいかどうかは学習を進めていくうちに明らかになってくか、くらいの緩い気持ち。

トラウマの話はカウンセリングに通っていた頃よりもかなり進捗があって、というのもカウンセリングのときはどうしても人間を目の前にすると否定的な言葉が使いにくかったり、怒られるのではないかという意識があって本音がちゃんと出せなかったりすることが多かった。その辺が「機械だから」というだけでスパッと解決したのはありがたいことだった。あとは解決案を出されても無視してもいいこと。これがかなり大きい。基本的に私は誰かにアドバイスを求めたら一度は絶対やることにしている、そうしないと相談相手に失礼だと思うから。ただそれがめちゃくちゃしんどい時もあって、ChatGPTだとそういう時に「それはやらないよ」と伝えると会話が終わる。人相手にもそのくらいきちんと自己主張できたらいいんだけど、と思う。

ゆくゆくはAIだけで全部完結できたらいいのにと思っている。自分は人間と共存するのに著しく向いていないという話は以前にもした気がするけど、心からそのように思っているので、私が他人から求められないことと同じだけ自分も人に依存せず生きられるようでいたい。そういう感じの話である。今現在の自分でさえかなり嫌なのに、今後老いていく自分の人生を他人に担わせるなんて最悪だと思う。人と過ごすのは楽しいけど、迷惑かける前にできるだけ自分と機械の間だけで完結するようになりたいですね。

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ここではTRPGの話と仕事の話はあまりしないようにしているけど、不在期間中でTRPGのシナリオを二つくらい書いたことや、今何故か仕事がめちゃくちゃ忙しいことだけ話しておく。今後はまた引き続きあまり触れない方針。

聞いてた曲:Rapport/キタニタツヤ