ヨイと私

yo_ha_ku
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私がヨイと出会ったのは、コロナが世界で脅威となりはじめていたころでした。

まだまだ東京の感染者数が二桁のころで、ニュースを見ればひとり、ひとりと日々感染者数が増えていってて、これからこの世界はどうなってしまうんだろう?と毎日怯えていました。

ある日私は恐怖が頂点にたっしたのか、過呼吸をおこしました。苦しく咳き込んでるときに「過呼吸はとにかくほかに気を紛らわせることが大切。なんでもいいからアニメを観ろ」とアドバイスをもらったのがきっかけでした。

それまで腐とは交わったことがなかったのに、最終回の最後、ヴィクトルが全力の笑顔で「ゆうり!」と呼んだあの瞬間「ヴィク勇……!」と思ってしまって 笑 それが2020年の2月くらいだったかな。

そこからは毎日貪るように支部に行き、イラストも漫画も小説も読み漁りました。もともと活字中毒者だった私はGW中に積みまくっていた書籍を読み耽ろうと思っていたのに、読んでいたのは結局ヴィク勇だけでした。

最初はYOI垢をTwitterにつくっても全然同志を見つけられなくて、書き手・描き手さんならたくさん見つかるけど語らえるひとがいない……と日々寂しく思っていたころ、ある日私が「私もヴィク勇仲間がほしいよ〜!」とつぶやいたときに、ポンとフォローしてくれたひとがいました。そのひとはすこし前にあった赤ブーのイベントで御本をお迎えしたばかりで、びっくりしすぎて夢かと思いました。そこからたくさんのひとと繋がれて、楽しい思いと同時につらい思いもしていくんですけど、まあそれはいいとして 笑 1番はじめに私をフォローしてくれたひとはいまでも仲良くしてくれていて、本当に大切な友人になりました。

私はだから、YOIと出会ったときはもうYOI放送から4年とか経過していたので、かなり後発組でした。でもコロナ禍で外出が制限されていたあのころ、私とおなじようなタイミングでYOIにハマったひともたくさんいました。古参のひとたちは私たちが新鮮にYOIのことを語らっているのを温かく見守ってくれていたし、支部で読んで感動したお話をリンクつけて感想をつぶやいたりしていたら「こういうのもあるよ」と教えてくれたりして、あのころは純粋に毎日が楽しかったなあ。

あるときとある相互さんが私の最寄り駅と同じ駅を利用していると知って「じゃあ終電以降もおしゃべりできるね!?」と言ってそれを実行したことがありました。そのとき相互さんが「おこめさん(当時私が名乗っていた名前)はヴィク勇書かないの?」と聞いてきました。私はびっくりして「なんで?書けないよ!」と答えたと思います。もっぱらミステリー小説ばかり読んでいたと言う私に、興奮したトリックはないのか、好きな殺人現場はないのか、あればそういうのをヴィク勇にして書け、と言い募りました。

いや、いま思い出してもあの説得は意味がわからん。

でも私に「書いてみて」と言ってきたのは、そのひとだけではありませんでした。

「おこめさんの感想ツイとか読んでると語彙力すごいあるよね。それをヴィク勇に充ててみない?」と言ってきたひともいました。

同時多発的に複数人から「書け」と言われ、自分が創作側にまわるだなんて考えたこともなかった私も、次第になんとなくストーリーを頭の中で組み立ててみたりするようになりました。

そうして出来上がった2000字程度のSSは、私からしたらなにも納得できないものでした。思い描いているシーンが全然文字にできないもどかしさと絶望感。結局あの悔しさは未だに解消されることはなく、ずっとずっと「推したちを私が思い描く美しいシーンに立たせたい」という気持ちでキーボードを叩いています。

そんな感じでなんやかんやあって、結局YOIでは3冊も本を出しましたね!

右が初めての本で、左が2冊目の本
とっくにアカウント消したあとにゲリラで出した3冊目の本

初めての本になった『Sign』は本編を軸に、EDに映るシーンも盛り込んだものでした。本編軸は自分で波風立てなくても強制的に「終わりにしよう」があるので助かりました。

2冊目の『歴史をつくった者たちと・それから』は勇利くんのフリープログラムの曲をつくった音大の女の子視点のお話でした。これはそのあとのBLLのrnis本を合わせても1番私にとって達成感があったものです。

あのころにはもう人間関係で色々あって、ストレス症状が身体にビシバシ出てたし、何日も不眠になったりしてたんですけど、そうやって書き上げたものは手放しで自画自賛できるものでした。もちろん文章力や構成はたぶんいまのほうがいくつもレベルアップできてはいるんだけど、これはYOIを本当に好きでまっすぐに愛を向けていないと書けないものだな、と思わせるものでした。(昨日本になってから初めてきちんと読み返した)

3冊目のはTwitterアカウントは消したものの支部は残していたんですが、消えた人間の足跡をあんまり残しておきたくなくて、支部に上げていたお話やTwitterに上げていたSSなんかをまとめて本にしたものです。初めて書いたSSから、最後の書き途中のまま一生完結しないと決めた原稿を読むと、自分の成長の過程がよくわかってとても恥ずかしい。

YOIで色々あって、私は軽率にTwitter上で繋がりをもつことをやめました。つらい出来事があって、思い出したくなくて、でもYOIそのものといまでも繋がってくれている相互さんたちだけは大好きなままで。

自分の書いたものも半分黒歴史みたいに思っていました。

でも今回アドレセンスが製作中止になったと発表があったとき、泣きながらキーボードを叩いていた過去の自分が愛おしくなりました。あんなに一生懸命好きだった自分を無かったことにはできないな、と。

月謝袋を買ってきて毎月2000円ずつ積み立てして、映画に備えていました。さすがにもう積み立てはしていないけど、でも手は付けずにそのまま保管しています。それももうべつのことに使っていいんだと思うと、寂しいなあ。

つらいこともたくさんあったけど、いまでも続く出会いをくれたり、たくさんの愛を教えてくれたのはYOIだけです。これからもずっとだいすき。応援しています。

ところで当時ほんとに軽率につけた「おこめさん」という名前、リアルで遊ぶことも意外とあって、外で「おこめさんがさ〜」と呼ばれるのがちょっと恥ずかしかった私はつぎに創作垢を作り直したとき、外で呼ばれても恥ずかしくないように「門町ハル」とつけました。なのにリアルで遊ぶ出会い全然なくて、私はいまも外で「おこめさん」と呼ばれています 笑笑